90年代以降、「クール」が流行った。
すなわち人間らしい感情を露わにせず、
表情も抑え気味にすることだ。
それは形を変え、今は「スマート」という価値観になったような気がする。
で。エモいというのは、90年代より前にあった、
人間らしい感情を指すのではないかと考える。
というのも、
何でもかんでも感情が沸き立つものをエモいと、
「一つの言葉」で代表してしまっているからだ。
心が温まるとか、
じーんとくるとか、
優しさに感謝するとか、
キュンとくるとか、
熱いとか、
深く人生を思うとか、
人の心の機微に触れるとか、
泣き叫ぶとか、
どうしようもなく感情が溢れるとか、
怒るとか、
悲しいとか、
嬉しくて死ぬとか、
悔しいとか。
いろんな言葉があるはずなのに、
それを全部エモいというあたりに、
ぼくは「感情の衰退」を感じるのだ。
このどれでもないのをエモいというわけではないだろう。
エモいの中にこれらが入っているはずだ。
つまり、
今の若者は感情を腑分けできない、
というと言い過ぎだろうか。
言葉は分類である。
我々にとっては雪は白だが、
エスキモーには雪の白さを表す言葉が20以上あるという。
つまり、
エモいしか言えないやつには、
感情はクールかエモいかの、二通りしかない。
いや、感情にはネガティブがあった。
感情はエモいとネガしかない。
つまり、感情があるときはエモいかネガか、
ないときはクール(スマート)。
この三つで、若者は生きている。
本を読まないとこうなってしまうのか分からないが、
現状はこうだ。
若者が闇かエモかの二種類の感情で生きているから、
これはネガかどうかに敏感になってしまったのではないだろうか。
ぼくは、感情はネガもポジもアナログに混じっている、
複雑な感情を持っていて、
デジタルにネガもポジも分けられるものではない。
そういう意味で言うと、
てんぐ探偵は、
ネガをポジに転換する、エモい作品である。
なんと簡単になってしまうことか。
受け手にはエモいと言われるものでも、
90年代より前の、
人間の感情は沢山の色があった。
それを取り戻せば良い。
2018年11月25日
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