2018年11月25日

エモいって言葉がずっと気になっている

90年代以降、「クール」が流行った。
すなわち人間らしい感情を露わにせず、
表情も抑え気味にすることだ。
それは形を変え、今は「スマート」という価値観になったような気がする。

で。エモいというのは、90年代より前にあった、
人間らしい感情を指すのではないかと考える。


というのも、
何でもかんでも感情が沸き立つものをエモいと、
「一つの言葉」で代表してしまっているからだ。

心が温まるとか、
じーんとくるとか、
優しさに感謝するとか、
キュンとくるとか、
熱いとか、
深く人生を思うとか、
人の心の機微に触れるとか、
泣き叫ぶとか、
どうしようもなく感情が溢れるとか、
怒るとか、
悲しいとか、
嬉しくて死ぬとか、
悔しいとか。

いろんな言葉があるはずなのに、
それを全部エモいというあたりに、
ぼくは「感情の衰退」を感じるのだ。

このどれでもないのをエモいというわけではないだろう。
エモいの中にこれらが入っているはずだ。

つまり、
今の若者は感情を腑分けできない、
というと言い過ぎだろうか。


言葉は分類である。
我々にとっては雪は白だが、
エスキモーには雪の白さを表す言葉が20以上あるという。

つまり、
エモいしか言えないやつには、
感情はクールかエモいかの、二通りしかない。

いや、感情にはネガティブがあった。
感情はエモいとネガしかない。
つまり、感情があるときはエモいかネガか、
ないときはクール(スマート)。

この三つで、若者は生きている。


本を読まないとこうなってしまうのか分からないが、
現状はこうだ。


若者が闇かエモかの二種類の感情で生きているから、
これはネガかどうかに敏感になってしまったのではないだろうか。

ぼくは、感情はネガもポジもアナログに混じっている、
複雑な感情を持っていて、
デジタルにネガもポジも分けられるものではない。


そういう意味で言うと、
てんぐ探偵は、
ネガをポジに転換する、エモい作品である。
なんと簡単になってしまうことか。


受け手にはエモいと言われるものでも、
90年代より前の、
人間の感情は沢山の色があった。

それを取り戻せば良い。
posted by おおおかとしひこ at 08:54| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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