配列にとっての「はやさ」は、
二種類あるような気がしてきた。
速さと早さで使い分けて議論しよう。
「速さ」は、
タイプウェルなどの、「決まった言葉を短時間で打てること」
とする。
「早さ」は、「思ったことが画面に定着するまで」とする。
速さと早さは異なると僕は思うのだ。
これまで、
1 思うこと
2 言葉として脳内に出てくること
3 指が動いて打鍵すること
の三段階があり、
配列やタイピングは3を鍛えることだと考えられてきたと思う。
そして速さとは3のことだ。
でも、
手で文章を書いたり、
アナログで絵を描く人なら分かると思うけど、
「手が表現を連れてくる」という、
逆流現象があるときがある。
思ってないのに手が進み、
「ああそうそう、こういうことを思おうと思ってたんだよね」
と気づかされるときだ。
おそらく、
無意識では思っているんだろうが、
理性が関知するより早く手が動いているんだろう。
これはスポーツや武術でも同じで、
考えるより先に体が動き、正解を引くことは、
ままあるように思える。
無意識の、言葉以前の言葉が、
大脳新皮質の言語野に届く前に、
先に手に直結している感覚だ。
文章を書くときは、このように書くのが理想だ。
いわゆる降霊状態、乗り移った感じ、
乗ってる感じである。
文章の最初の方は、
いかにしてその状態に至るかの暖気のようなものだ。
つまり先ほどの三段階でいうと、
2を飛ばして13の短絡が、
「早く書けている」という「早さ」ではないか。
僕は秒間5打の速さは多分無理で、
しかし早さは追求していきたい。
それは、無意識に指が薙刀式を辿り、
言葉以前の言葉を言葉にするということだ。
脳ではなく手がやる感覚。
それには、
沢山のキー数は僕には苦手で、
今の28キーでも多いなあと思っている。
もっとキー数減らせないかなあ。
同時打鍵は、
たとえば人差し指同時押し、中指同時押し、薬指同時押し、小指同時押し、
なんて風に4種作れば整理できるかもしれないし。
(ロールオーバーが辛いかもだが)
思うことをすっと書けるようにさえなれば、
3だけ取り出すのはナンセンスじゃないか、
と最近思っている。
まあ、タイプウェルがちっとも更新しないからかもしれないが。、
それには、
無意識と配列を繋げられるようになるのがよくて、
人間は「1、2、たくさん」くらいしか捉えられないから、
3つ以内の要素の配列が理想なんじゃないなと想像している。
僕には5本指は、無意識で動かすには多いような気がするのだ。
(だから、人差し指、中指、親指か薬指しか使わないような、
新しい配列を考えるべきかもしれない)
速さには限界がある。
その人個人の、器質的限界だ。
僕は指が器用じゃないし、ピアノも弾けない。
しかしそれを、早さでカバーできると考えている。
脳と直結する配列は、
今のところ薙刀式が僕にあってる。
親指シフトが脳との直結にあってる人も、
たくさんいるのだろう。
シフターたちは、
最近速さではなく楽さをアピールすることが多いけれど、
「脳と文字が直結しているので、無意識に書ける」こと、
すなわち早さをアピールしたほうがいいんじゃないかな。
僕にとっての薙刀式の早さは、
一文字一文字の早さじゃなくて、
重要語の塊が一気に打てることだ。
「かもしれない」とか、「そういうこと」とか。
文にはこういう意味構成素があって、
それを一息で打てるのが、早い配列だと思っている。
そういう構成素を、そのうち書き出せたらなぁなんて思っている。
2018年11月28日
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