僕は共感ベースが大嫌いだ。
小さな頃から異端者だったのもあるかも知れない。
「他の人と同じようにする」のが苦手で、
そういう日本人を見ると苦痛を覚える。
相互理解は、同質のもの同士の以心伝心ではない。
異なる者や民族がいることを知り、
「共感できないが、あなたたちを排除せずに権利は保証する。
キモイと反射で思ったとしても、それを判断基準には入れない」
ということだと思う。
それは中国人でも韓国人でも黒人でもリトルグレイでも、
太ったヲタクでも老害でもだ。
他者排除の戦争の歴史において、
人権というものはそうしてできた概念だが、
それを動物脳で台無しにするやつがいる。
たとえばバカな女が、自分の共感できないことを、
なんとかハラスメントとか事案で騒いでいる。
バカな男が、自分の共感できない女をま〜んと排除する。
「他者の理解」が、バカは苦手なんじゃないか。
逆にいうと、理解は理性でするものかもしれない。
僕はトヨタが大嫌いだ。
「全国の車がトヨタ車になる」のが理想なのだそうだ。
なんと恐怖のデストピア。
理想は、全員が違う車に乗ることだろうが。
(車に乗らない人も認めるのがもっと理想)
物語は、異物との出会いだ。
それをどうしたいかは、あなたがどう世界を見ているかで決まる。
2018年11月30日
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