2018年11月30日

「わかるー」の反対は「分からないからキモイ」という異物排除

僕は共感ベースが大嫌いだ。
小さな頃から異端者だったのもあるかも知れない。

「他の人と同じようにする」のが苦手で、
そういう日本人を見ると苦痛を覚える。


相互理解は、同質のもの同士の以心伝心ではない。
異なる者や民族がいることを知り、
「共感できないが、あなたたちを排除せずに権利は保証する。
キモイと反射で思ったとしても、それを判断基準には入れない」
ということだと思う。

それは中国人でも韓国人でも黒人でもリトルグレイでも、
太ったヲタクでも老害でもだ。


他者排除の戦争の歴史において、
人権というものはそうしてできた概念だが、
それを動物脳で台無しにするやつがいる。

たとえばバカな女が、自分の共感できないことを、
なんとかハラスメントとか事案で騒いでいる。
バカな男が、自分の共感できない女をま〜んと排除する。
「他者の理解」が、バカは苦手なんじゃないか。

逆にいうと、理解は理性でするものかもしれない。


僕はトヨタが大嫌いだ。
「全国の車がトヨタ車になる」のが理想なのだそうだ。
なんと恐怖のデストピア。
理想は、全員が違う車に乗ることだろうが。
(車に乗らない人も認めるのがもっと理想)


物語は、異物との出会いだ。
それをどうしたいかは、あなたがどう世界を見ているかで決まる。
posted by おおおかとしひこ at 12:37| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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