2018年12月03日

現実のセリフと物語のセリフの違い

は何だろう。色々あると思う。
シンキングタイム。




一番違うのは、
僕は「目的があること」だと思う。


現実の会話で、目的があるとは限らない。

ただ愚痴を言ってるだけとか、
ただダラダラ喋って面白いとか、
ただ独り言をメモしているとか、
ただ昨日あったことを言ってるだけとか、
ほとんどはそんなもんだ。

これが、
口説こうとか、説得しようとか、
なにかを言わなくてはならないとか、
各人の希望を把握して調整するとか、
知識を得ようとか、
になると、
目的を持った会話になる。

そもそも、
「今は目的を持たないただの会話でしたが、
ここから目的のある会話をします」
という線引きの目的の会話すらあるだろう。

天気の話などをしたあとでの、
「ところで本題ですが」なんてのはその典型だ。


さて。(この「さて。」も僕がよく使う本題への導入だ)

物語に登場する人物は、
端役以外、全員目的がある。

動機(抽象的なもの)と、
目的(絵で結果が示せるもの)を持っている。
(例:漫画家になりたい/手塚賞入選。
生き延びること/ターミネーターを殺す)

そして、全ての行動は、
目的を実現するための行動だ。

行動は身体的アクション(移動、殴る、ゼスチャー)か、
または会話を伴う。

会話はつまり「目的を遂行するためのアクション」なのだ。


だから物語の会話は、
目的を持ってなされたものである。
(もちろん、ほぐすために何でもない会話をすることもある。
しかしそれすら、「ほぐす」という目的があるわけだ)

脚本において、
無駄な箇所は全て削ぎ落とすべきだ。
無駄な箇所はつまらないからである。
つまり、
目的のない会話はすべて削除対象だ。

つまらないの反対は、
「目的を持った明確な行動」であり、
つまらないとは、
「目的のない、どこへ向かっているかわからないこと」だ。

(勿論意図的に「目的不明」を挿入することもある。
しかしそのあと「その目的を解き明かす」という目的になるだろう)


ということで、
物語の中での会話は、
ほぼすべて目的を持つ。
そうでない会話は、ノイズだ。

勿論これは極論で、
楽しむための会話が存在してはならない、
ということを意味しない。
言葉遊びはするべきだし、雰囲気会話は贅沢の質を上げる。
しかし、それはノイズとして全カットしたとしても、
物語の会話として機能する、
ということを覚えておくと良い。

極端に言えば、サイレント映画だってできるわけだから。


現実の会話で、
上司に「君は勤続何年になる?」と言われたら、
普通の会話かもしれない。
しかし物語でそう言われたら、
次に出てくるのはリストラ話か転勤か異動だろうね。

勿論、現実でもそうかもしれないが、
確率的にいえば、世間話のほうが圧倒的だろう。


数字で言えば、
現実の会話では、ダラダラ:目的が、
9:1ぐらいかもしれない。
「初めて会った人を色々探る」ときだと、
2:8ぐらいになるかもだ。
「勝手知ったる仲間との会話」なら、
10:0だろうね。

しかし物語では、
1:9か0:10がスタンダードだ。

物語とは、
色々な現実から、
「目的を遂行する局面」だけを切り取ったもの、
という言い方もできるかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 11:20| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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