2018年12月06日

途中をリライトするのか、頭とケツをリライトするのか

何をリライトしようとしているのか、
自分で把握しよう。

途中をリライトするのと、
頭とケツをリライトするのでは、
全く意味が違う作業だ。


途中をリライトするのは、
面白みのガワを足すためであることが多い。

紆余曲折の途中の部分だから、
はしょったり追加したりすることは、
比較的容易だ。
あるいは、ブロックの入れ替えもさほど難しくない。
情報の逆順とかに気をつければ、
問題なく接続できるだろう。

世界設定の多少の変更も可能だ。
より面白くなるようにするとよい。
登場人物を増やしても減らしても、
頭とケツにそれほど影響なければ、
ほぼ自由に可能だ。

それは単純に、「面白みを増す」ために行えるだろう。
二幕の役割は展開であった。
面白く、引きが強く、驚いたり感動したり、
感情が動くように作るのがベストだろう。


これに対して、頭とケツをリライトするのは、
わけが違う。

これを直すというのは、根本を直すということ。
つまりは、
「この作品は何のためにあるのか」に手を入れるということである。

現在の原稿の、
着地が甘いなと思った時、
ここに手を入れることになるだろう。
さらに深くしたいとか、
逆にアッサリしたいということもある。

つまりは、前振りと落ちの関係を変更するということだ。

落ちを変えれば前振りも変わるし、
前振りを変えれば落ちも変わる。

どちらかを変えてもう一方をキープして、
新たなペアにする手もある。

いずれにせよ、
それは全く別物になる可能性と危険性がある。


物語の基本は、
「足りないものを冒険の途中に手に入れ、
変化することで、その変化がテーマとなる」
ことである。
前振りとは足りないもののことで、
落ちとは最終変化のことだ。

当然のことながら、
前振りと落ちをリライトして、
より深いテーマに落ちるように書き直せたら、
途中の部分にも手を入れたくなってしまう。

こう落ちるんだったら、
これを途中でやるべきだ(またはやらないべきだ)、
という判断もあるだろうからだ。


ということで、
リライトには二種類ある。

部分を直すのか、根本を直すかだ。


根本が詰まらないのは致命的だ。
ガワだけの中身のない、糞になるだろう。

部分が詰まらないのは何とかなるかもだ。
ネタを新鮮なものに変えるだけでよくなったりする。

問題は、
今目の前のストーリーが、
部分を直すべきか根本を直すべきか、判断しづらいことにある。
こればかりは経験だ。
何度も、何通りもやってみて、
何をどう思えばどうなったかを、反省することでしか、
リライト能力は上がらない。

(極端な話、リライトを一度もしたことがない人は、
必ずリライトに失敗する)

今自分は何を直しているのだろう?
リライトの迷路にはまった時、
俯瞰してみるとよい。

そんなに難しいことは考えても意味がない。

部分を直そうとしているのか、
根本を直そうとしているのか、
自覚するだけで迷路から抜け出せる。
posted by おおおかとしひこ at 11:43| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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