自分で把握しよう。
途中をリライトするのと、
頭とケツをリライトするのでは、
全く意味が違う作業だ。
途中をリライトするのは、
面白みのガワを足すためであることが多い。
紆余曲折の途中の部分だから、
はしょったり追加したりすることは、
比較的容易だ。
あるいは、ブロックの入れ替えもさほど難しくない。
情報の逆順とかに気をつければ、
問題なく接続できるだろう。
世界設定の多少の変更も可能だ。
より面白くなるようにするとよい。
登場人物を増やしても減らしても、
頭とケツにそれほど影響なければ、
ほぼ自由に可能だ。
それは単純に、「面白みを増す」ために行えるだろう。
二幕の役割は展開であった。
面白く、引きが強く、驚いたり感動したり、
感情が動くように作るのがベストだろう。
これに対して、頭とケツをリライトするのは、
わけが違う。
これを直すというのは、根本を直すということ。
つまりは、
「この作品は何のためにあるのか」に手を入れるということである。
現在の原稿の、
着地が甘いなと思った時、
ここに手を入れることになるだろう。
さらに深くしたいとか、
逆にアッサリしたいということもある。
つまりは、前振りと落ちの関係を変更するということだ。
落ちを変えれば前振りも変わるし、
前振りを変えれば落ちも変わる。
どちらかを変えてもう一方をキープして、
新たなペアにする手もある。
いずれにせよ、
それは全く別物になる可能性と危険性がある。
物語の基本は、
「足りないものを冒険の途中に手に入れ、
変化することで、その変化がテーマとなる」
ことである。
前振りとは足りないもののことで、
落ちとは最終変化のことだ。
当然のことながら、
前振りと落ちをリライトして、
より深いテーマに落ちるように書き直せたら、
途中の部分にも手を入れたくなってしまう。
こう落ちるんだったら、
これを途中でやるべきだ(またはやらないべきだ)、
という判断もあるだろうからだ。
ということで、
リライトには二種類ある。
部分を直すのか、根本を直すかだ。
根本が詰まらないのは致命的だ。
ガワだけの中身のない、糞になるだろう。
部分が詰まらないのは何とかなるかもだ。
ネタを新鮮なものに変えるだけでよくなったりする。
問題は、
今目の前のストーリーが、
部分を直すべきか根本を直すべきか、判断しづらいことにある。
こればかりは経験だ。
何度も、何通りもやってみて、
何をどう思えばどうなったかを、反省することでしか、
リライト能力は上がらない。
(極端な話、リライトを一度もしたことがない人は、
必ずリライトに失敗する)
今自分は何を直しているのだろう?
リライトの迷路にはまった時、
俯瞰してみるとよい。
そんなに難しいことは考えても意味がない。
部分を直そうとしているのか、
根本を直そうとしているのか、
自覚するだけで迷路から抜け出せる。
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