2018年12月12日

リライトの時、キャラが勝手に喋る現象

に遭遇した人はたくさんいるだろう。
ストーリーの後半では、
キャラが勝手に動き出すことはとても良くあることだ。
そのキャラが掴めてきたとか、
そのキャラが自分の分身になってきたとか、
そのキャラが自分の分裂した自我として定着した、
ということになるわけだ。

一回書いておしまいならそれは役に立つ。
ところが、リライトをしようとする時、
これは邪魔になる。


何故なら、
プロットを組み直そうという大きな枠組みを考えている時に、
勝手に各キャラクターがリアクションして、
勝手に脳内行動を始めるからである。

「後々のことまで決めておきたい」というプロットを考えたい時、
これらの勝手気ままな(=自然な)リアクションは、
小うるさいだけなのだ。

だから、各キャラクターには黙ってもらおう。
あなたは各キャラクターと同じ地平線にいるからそうなる。
もっとその地平線を離れた、
上空から状況を俯瞰しなければならない。

しかしそんな都合よく黙っちゃくれない。
この勝手に動き出すことは執筆時には大変助かるのだが、
ちょっと黙ってて、と言いたい時にも、
勝手に脳内で喋り始める。

だったら、
それは「傍で喋らせておく」という手もある。

あなたがプロットを考えて俯瞰しようとしているとき、
喋り始めたキャラクターたちの言葉は、
別紙に書いておくのだ。
(僕は紙の左側にプロット、右側にキャラクターのお喋り、
と分けてメモをする時がある)

ざわざわ喋りたいなら喋らせてあげればいいのだ。
そのセリフを採用するかどうかは、
プロットが決まって、あとあとの執筆の時に、
改めてチェックすればいいだけのこと。
(そして大抵ノーチェックでも大丈夫。
もっといいセリフを本番では書ける。
これは経験的にあきらか)

細かいリアクションにとらわれては全体が見えなくなる。
その為に、別紙部分にそいつらをとじこめよう。

自分の意識としては、
俯瞰から色々考えている自分と、
地平線にいるキャラクターたちと、
全てに自我意識がいる感覚。

視点が行ったり来たりするのではなく、
同時進行の感覚、という感じ。

僕が「物語を書く行為は一種の分裂病(解離性人格障害)だ」
というのも、この感覚を知っているからである。

逆にいうと、
これらを意図的にコントロール出来ないと、
物語なんて書けないと思う。
いつでも視点を移動し、
あるいは同時進行させられないと、
視点を見失い、ストーリーは意図しない方向に転んで行くだろう。

ライブ感重視の連載ならそれもアリかもしれない
(これは「バケる」ことの原動力にもなる)が、
完結前提の映画脚本ではそれはオススメではない。


分裂した自我は常に管理下に置くべきだ。
しかし「君たち黙ってて」というほど管理は強くなれないので、
俯瞰する自分と、お喋りする各キャラクターの自分を、
同時存在させろというのが、
リライトの時のコツだ、
という話をしているわけだ。


この辺の感覚は、
書く人でない限り、
リライトをきちんとしたことのない人でない限り、
分からない感覚かもしれない。

とくに、
なんどもリライトして完成度を上げて行く、
脚本家しか、
この感覚を知らないかもしれない。
(単行本加筆程度では済まないレベルでのリライトは、
脚本では普通だ。初稿の1/10も残らないものだからね)



なるべく俯瞰から見て、
あれやこれやとブロックを入れ替えたり消したり足したりする自分と、
わらわらと喋るキャラクターは、
並存して良い。

喋らせながら、無視しながら、
リライトのプロットを考えていけば良い。


執筆前の構成の構想では、
このようなことは稀だ。
書き始める前にキャラが完璧に決まってはいないだろうからだ。
リライトや、シリーズ物特有の現象と考えられる。
posted by おおおかとしひこ at 11:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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