2018年12月12日

物語は快楽であって、政治ではない

瞬の件の続き。
僕の怒りは、
快楽原則で書かれ、快楽原則で受け取られるべき物語が、
政治的事情で改変されていることに腹が立ってるのだろう。

「瞬が女になったことで、快楽が増した」
ことになったらお前の勝ちだ。
聖闘士星矢がこんなに面白くなるなんて!
と俺たちを驚愕させ、感心させてみろ。


今テレビが詰まらないのは、
政治的横槍によって、快楽が減じられているからだ。
昔は番組タイトルにいくつ「過激!!」が付いてたと思うんだ。
ヅラいじりやおっぱいポロリぐらいやれや。

人の快楽は、残酷さとペアだぞ。

物語は政治から自由になるべきだ。
残酷になるのも、快楽を得るのも自由だ。
政治的なことは、政治でやりなさい。
posted by おおおかとしひこ at 02:47| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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