経験則。
大体、最初に書くときは構成の図を書いてみると思う。
それがどういうフォーマットかはおいといて、
どんな図でもバランスの取れたようなものを書くとよい。
そうすると、書き上がったものは、だいたい構成がしっかりしたものになる。
これは「ノートがきれいな人は成績がよい」
という経験則と同じで、
構成が頭の中に大体きれいに作られていると、
大体は分り易い図を書けるからだ。
図がぐちゃぐちゃになっている人は、
頭が整理されていない為、
語るときも整理されない状態で語らなくてはならない。
他人から見てぐちゃぐちゃでも、
その人なりに整理されていればそれでよく、
それが「フォーマットを問わない」
と注記した理由だ。
頭の中で整理されているものは、
おおむね綺麗に書くことができる。
逆はない。
もし書く前に図が綺麗でも、
執筆がぐちゃぐちゃになってしまうことはよくある。
最初の図がめちゃくちゃでも、
執筆しているうちに整理されてきて、
最終的には綺麗な図に納まるような話が書ける例もある。
しかし例外なく、
整理された構成がしっかりした話は、
少なくとも、事後に綺麗な図が書ける。
これは、リライトでも同じである。
書き終えたあと、
もとのストーリーの図を書いてみよう。
そもそもこれが綺麗に書けないから、
リライトしようとしているはずだ。
いろいろなアイデアを出し、取捨選択しようと考えているときに、
一度それらを加味した構成の図を書いてみるとよい。
それが綺麗に書ければ、
最終的に仕上がったリライト版は、
しっかりした構成をしている可能性がある。
もちろん、ぐちゃぐちゃな図だとしても、
最終的に上がった話はよく整理されているかもしれないし、
図は綺麗でも執筆がぐちゃぐちゃだったら意味ないのだが、
この方法論に何回も慣れてくると、
図と内容が比例するようになってくるものだ。
僕の場合、
前の原稿と、次のリライトの「差分」だけを
一枚の表にしたものをつくることが多い。
たとえば現在のそれを見せる。
rewrite_structure.pdf
第一章と第四章の部分に主に手を入れようとしていることが分るかと思う。
図からはそれはあんまりうかがえないけど、
最終的に、綺麗な図を書く自信はある。
今の僕の関心ごとはあたらしく何を追加するかだから、
実用的に、これは美しい構成の図ではある。
とくに四章をじっくり描こうとしよう、
という自分の配分を確かめるためにある訳だから。
綺麗な図とはどういうものか考えよう。
大きなものは大きくかけて、
小さなものは小さくかけていることだ。
どういう主たる要素が存在し、
それらの関係が分るようにかけているかどうかだ。
それが、最終的に上がったものに、
嘘をつかず相似になっていれば、
おそらく美しい構成と美しい内容になっているだろう。
別に、図が綺麗にかけたから偉いわけではない。
内容が面白いものが正義だ。
しかし、面白い内容は必ず構成が美しく、
ただしく書けるものが書けば、美しい構成図が書ける。
2018年12月20日
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