2018年12月22日

ガワと中身の話

よくここで論じる、ガワと中身の話。
ちょっと面白い例を拾ったので、論じてみよう。

早稲田の入試問題、日本史。
「226事件の日の東京の積雪量を答えよ」

どう考えても歴史の問題じゃない。
ただの雑学だ。
どうしてそう思うのだろうか。


もし226当日の積雪量が、
事件と大きな関わりを持っているならば、
これは大事な問題になるかもしれない。
その歴史的なことを問えるかもしれないからだ。

しかし、おそらくそうではなく、
ただのクイズレベルの問題だと思われる。

なぜそう思うのか。

226についての歴史的理解とは、

誰が首謀者か
どういう経緯の事件か
なぜ起こったのか、その背景
その成否
それが意味する歴史的意義
(その後の影響、社会的意義なども含む)

などの事の筈だ、という認識が皆の中にあるからだ。


つまりこれは、
5W1Hだ。
誰が、いつ、どこで、何を、どうしたのか、
そしてそれはなぜか、
そういうことがまず事実として大事なわけだ。
(軍部の若手がクーデターを起こした、
というあらすじで僕は認識しているが、
日本史をやったのはずいぶん前なので、
詳しくは忘れてしまった)


つまり、これが中身だ。
プロットで書くべきは、こういうことだ。
さらにいうと、
5W1Hだけでは足りない。

それが意味する歴史的意義のほうが大事だ。

よく覚えていないが、
「これが軍部の横暴を止める最後のチャンスだったが、
このクーデターの失敗によって、
大日本帝国は、戻れない軍国主義にまい進したのであった」
という意義がある、と仮にしてみよう。

5W1Hだけではこのことは分らない。
歴史的俯瞰の視野がないと分らないことだと思う。

そして、それこそが、
「そのことの意義」であり、
中身の最も大事なものである。

プロットに書くべきことは、
これでなければならない。
5W1Hだけでなく、意義、つまりテーマである。

そのストーリーがどういう意義があるのか、
このストーリーは何のためにあるのか、
ということが大事なのだ。
(もちろん、「テーマは〇〇」と明示してはいけない。
歴史的意義と違うところは、
ストーリーのテーマは、暗示で行われるところだ)


このようなものを、僕は総称して「中身」と言っている。
一方、雪のようなものは「ガワ」と言っている。

ストーリーは中身が大事で、
ガワは化粧のようなものだ。

化粧はあとでもできるし、
まず中身がないとストーリーにならない。
プロットは中身の計算をするために書くのであり、
化粧とはわけて考えるべきだ。
また化粧が出来る人はたくさんいるが、中身を出来る人は少ない。

にも拘わらず。

雪がどれだけ激しく降ったとか、
雪がどれだけ美しかったとか、
将校の真剣な目つきとか、
将校たちが寒さと若さゆえ頬が真っ赤であったこととか、
三度銃声が響いたとか、
そういうことを書いて悦に言ってる脚本初心者が、
いかに多い事か。


ガワは誰でもつくれる。
ストーリーテラーは、中身を作るのが仕事だ。

因果関係、
何が起こって次にどうなったのか、
それはそもそもなぜ起きたのか、
それが起こるまで何があったのか、
なぜそれをせざるを得なかったのか、
途中経過はどうなったか、
最終結果はどうなったか、
そしてそれが全て終わったとき、
何が残るのか。
意味や意義は。

そういうものをつくるべきなのに、
雪が何センチ積もったかばかり、
書いてやしないか。


ガワをつくるのは、デザイナーだ。
写真家や絵描きや、アートディレクターでもできる。

我々は、中身をつくり、
彼らに渡すのである。

(もちろん、両方兼ねる人がいてもよい。
脚本監督はそういう仕事である)
posted by おおおかとしひこ at 14:22| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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