2018年12月23日

【薙刀式】言語による思考なんて、思考の表層だ

タイピングのそもそもの目的は、
思考を文字にすることだ。

で、その思考そのものについて考えてみる。
タイピングというアウトプットは言語によるものだが、
言語で表せる思考なんて、
思考全体の何分の一かでしかないと思う。


たとえばこのブログのような、
論説文を考えよう。

誘導するべき結論へ向かって、
ある点から論理を展開していく。
この論理を考えている時、
言語を使うだろうか?

人にもよるだろうけれど、
僕はほとんど言語を使わない。

イメージ的な映像も伴わない。
「論理」という抽象概念で考えているようだ。

あることから導かれるなにかや、
あることに対する反論や、
それへの再反論や、
何かの検証や。

あるいは、あることが「論理的に正しい」と判断することや、
「間違っている」と判断することや。

あるいは、
例を考えたり、
漏れがないかチェックするとき。

こういう時、
僕の脳内では言語を使用していない。

(使用する人もいるかもだ。
以前議論した脳内発声の件参照)


数学の証明を読むときも、
言語を使っていない。
論理を追うことで必死である。
数式展開の等価性をチェックするのは、
言語でない何かによる作用だ。
(これが苦手な人は、
数学を言葉で捉えようとしてしまい、
数学が苦手になると思う。
言葉は数学の空間より貧弱だと思う)


僕の主戦場である物語を書くときは、
もっと非言語で考えている。
この人の動機はどういうものか、
今ここでどういう行動が取れるのか、
この人はいまどういう気持ちなのか。
それらは言葉ではなく、動物的勘のようなものだ。


これらのものが、
頭の中で一定の形を取り始めたとき、
「考えがまとまった」と思うようになり、
それを「言葉に変換する」のではないか。

全てがまとまってから、
言葉に変換するのではない。

大抵、途中までできていて、
最後まで見通しが立っていない状態で、
見切り発車で言語化していく。

それは恐らく脳の中が一杯で、
言語として書き出すことで、
脳内の作業領域をあけるのだろう。


タイピング速度は、
思考速度を時に越える、
なんていい方をする時がある。

言葉がずらずらと脳内から出てくるものを、
コピータイピングしている、
というような感覚の人ならそうかもしれない。

脳内発声があるような人は尚更だ。
(親指シフトはそのような人に一番向くかも知れない)

僕はそうではない。

僕の思考は言語を介して行われていなくて、
意味の組み合わせのようなもので行われている。

それを、端から、
言葉で言うとこういうことだ、
と変換をかけていく感覚だ。

だから、「思考速度」というようなものが存在しない。
○文字/10分、と測れるようなものではなさそうだ。

頭の中の論理や要素が複雑であるほど、
その組み合わせや移動に時間がかかる。
簡単なときは、思考と言語が近くて同時の時もある。
書きながら考えられるレベルだ。


つまり、
浅い思考のときは、
思考速度のようなものが存在して、
もっと深く考えるときは、
時間の次元がないところで考えているようだ。


タイピング速度は、
思考速度に近いほど良い、
などと浅い考えで言われることがある。

それって、脳内発声でカバー出来るレベルの、
ごく浅い思考に限られるのではないだろうか?


僕の思考を最も速く的確に書ける道具は、
今尚手書きである。

ただ、浅い思考なら薙刀式のほうが上回る。
漢字変換とかそんなに必要ないレベルのやつに限るが。

フリックは遅い。


音声入力は、脳内発声程度の、
浅い思考の記録に向いているような気がする。

僕のほんとうの思考は、脳内発声がないからね。



タイピング速度は速いに越したことはないが、
脳内発声より速くてもしょうがないだろう。

そして、
タイピングが速いからといって、
思考の質が良いとは限らない。

だって言語ではないところで、
僕はずっと考えているからだ。


人によって思考のやり方すら違うかもしれない。
僕にとって、思考とは言語を介さないものだ。

だからタイピングなんて、
ずっと下部の表層でやることに過ぎない。
しかもIMEの制御のことも気を回さなきゃいけないし、
思考にとって全く良い手段じゃないなあ。
posted by おおおかとしひこ at 00:58| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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