どん底から這いあがった人は強い。
どん底を抜けた人は、ひとつ成長する。
あなたの主人公は、どんなどん底に落ち、
そして復活してくるのだろうか。
どん底がない物語を考えよう。
それはきっと、
主人公が本気で何かを達成しようとしていなかったり、
最悪の障壁から逃げていたり、
喜怒哀楽が中途半端な物語になっているのではないだろうか。
主人公が本気で何かを達成すればしようとするほど、
障壁は大きくなるだろうし、
どう避けてもその最大の障壁はやって来るし、
そうすれば喜怒哀楽は最大のふり幅を取らざるを得ない。
小成功や小失敗だけでやりすごそうとしてきた、
都合のいい物語は、
このような、
「一番陥りたくない暗黒の穴」
を避けようとする。
それは、作者が、そこから抜け出る方法を思いつかないことと、
表裏一体だと思う。
いくらでもどん底は考えられる。
最悪の事態なんて複数パターン考えられるだろう。
しかし実際にそれを描かないのは、
そこを避けるようにするのは、
そこからの奇跡の逆転劇を、
そこからの内面の成長を、
そこからの駆け上るようなクライマックスを、
描くだけのアイデアやリアリティーにたどりついていないからだ。
そこそこが、主人公の生まれ変わる場所であり、
そここそが、敗北ロードが勝利ロードへ反転する瞬間であり、
そここそが、夜明け前の最も暗い場所である。
人生を振り返ったときに、
「あれが最もきつかったが、
あれを乗り越えたからこそ今の自分がある」
というポイントの筈だ。
どん底を描こう。
そこからの立ち上がりを描こう。
それが物語だ、と言っても過言ではない。
どん底を経験していない主人公の勝利なんて、
ただの表面的な話にすぎない。
自分の人生の参考にもならないし、
テーマなんて見いだせないし、
感情移入にも値しない。
どん底があるから、
起伏、浮沈を計算できる。
これ以上最悪な状況はないように、
各所を計算すればよい。
書いている途中で最悪なことを思いついてそう書いてしまい、
計画のどん底がたいしたことなくなってしまうなら、
さらにどん底をどん底にするように考え、
そこからの立ち上がりもさらに強くするとよい。
思い付けばだけど。
あなたの主人公は、どん底を回避していないか。
前に進もうとおもえば思うほど、
最悪の失敗に陥る。
その沼の底からどう立ち上がるか、
何を得て帰って来るのか、
そこが問われている、
その方法こそが主人公のアイデンティティーになる、
ということを、
考えに入れておこう。
覚悟せよ。
あなたは、
誰もが目を瞑り忌避する、最悪のどん底から、
見事に復活する男(または女)を、
書かなくてはならないのだよ。
そのどん底は、ボトムポイントといって、
クライマックスの前の、第二ターニングポイントの前の、
近くにあるだろう。
120分映画なら、
大体75分から85分あたりにあるはずだ。
2018年12月27日
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