もはや邦画は、プログラムピクチャーしか無くなってしまったのか?
映画を分類するとき、
A級の大作、
予算は大したことないが内容はA級の佳作、
予算は大したことないが、それを逆手に取ったB級の快作、
糞、
予算は大したことないが、上がりが読めて固定客がいるやつ、
に分かれると思う。
最後のものをプログラムピクチャーなどという。
アイドルがでるやつ、
ヤクザもの、
刑事もので爆発したりアクションするやつ、
なんかの、
「定番だけど、パターンだし、
でもちょっと新味があったり、
好きな俳優が出てるからみる」
というジャンルのものだ。
「ホラーだったら何でも見る」みたいな固定客のいるやつ。
永ちゃんなら絶対聞くぜ、みたいなやつ。
日常系アニメなら何でもOK、みたいなやつ。
時代劇だから老人は何でも見る、みたいなやつ。
スイーツ系働く女主人公だからOLが見る、みたいなやつ。
それは、「新しさを更新する」ことは期待されない。
プログラムピクチャーのつもりだったが、
いつのまにか安定した収入を誇り、
ドル箱どころか東映の屋台骨を支えることになってしまった、
仮面ライダー系映画も、
内容の出来や新規性はおいといて、
プログラムピクチャーだ。
いつも同じプログラムをやっている、
という意味が語源だろう。
僕は中島哲也は、
プログラムピクチャーなんて作ってる場合の人ではないと思う。
にも関わらず、
プログラムピクチャーを作らされ、
絵やサウンドはとてもいいのに、
内容が箸にも棒にもかからないようなものを作らされているのが、
なんとも歯切れが悪くてむかつくのだ。
監督の才能は、
しかるべき場がないと発揮できず、
場を作るのはプロデューサーの仕事だ。
もはや、監督がプロデューサーにならない限り、
監督の才能の発揮の場所はないのだろうか?
ナカテツですらそうなのに、
俺はどうすりゃいいんだ。
あるいは、
進撃降板後の東宝だから、
再び東宝と組むのかどうかの試金石で、
そこそこの予算で様子見をされた可能性もある。
というような、
読み方をしない限り、
この映画は何一つ面白くない。
東宝のやり方は、曲がり角に来ている。
プログラムピクチャーを求める客は、
いまユーチューブを見てると思うよ。
前記事で、オーメンとエクソシストを、
タイトルを逆に覚えていたことに気づいた。
666のダミアンがオーメンで、
神父対首180度はエクソシストだった。
ここに訂正するが、
記事の論旨を変えようがないので、
エクソシストをオーメンというタイトルだったと思って、
読んでいただきたい。
2018年12月25日
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