2018年12月29日

キャラクターを深める為に

よくある手法だが、整理してみよう。
自分のキャラクターをそこに呼び出して、
質問してみるのだ。


今まで一番楽しかったことは?
今まで一番つらかったことは?
何をしているときが一番幸せ?
何が一番ゆるせない?
孤独を感じるときってどういうとき?
一番重んじていることは何?
何が一番怖い?
何が一番燃える?
生きる上で参考にしていることは?

このような、設定では書きづらい、
深層の部分、哲学の部分、無意識の部分について、
インタビューしていく。

こうすることで、
考えもしていなかったことが浮かび上がってくる。
こんなこと作者は考えていなかったが、
たしかにこのキャラクターならそう考えているかもしれないと。

これの何が有効かというと、
対象を複数のキャラクターにしたときだ。

作者の考えが浅いと、
全員似たような答えをしてしまうことがあるのだ。
作者そのものに似たものばかりであるとか、
作者の理想の誰かのものばかりであるとか、
なんだか「同じ人間のガワ違い」
にしかならないことがある、ということ。

まったく違う人間として設定していても、
こういった芯の考え方が似ていては、
同じ人間のバリエーション違いにしかならない、
ということを知っておいたほうがよい。

人間たちがもめるのは、
表面上は我慢できることではない。
「お前とは根本的に合わない」
という部分でもめるのだ。
ちょっとの違いなら我慢したり妥協できたり、
違う人間なんだから、と理性でカバーできるものだが、
もっと根源的な違いがあると、
それをすっ飛ばして嫌いになったり否定したり、
生理的に許せなくなったりするだろう。

違う人同士のコンフリクトこそが物語のエンジンだ。
ということは、
彼らは根本的に相容れなくてはならない。

ちょっとした違いだけでもめるはずがない。
もめるとしたら、
根本的に何かがずれていることでである。


こうした質問のセットを、
複数の人物に投げかけることで、
「根本的に違った人物がいるか」
あるいは「描こうとしているのか」
をチェックすることができる、
というわけだ。

全然違うからこそもめるし、
全然違うからこそ連帯できる。
それが人というものだ。

そんなことの種を、
インタビューで露わにできると、
次元が違う人間同士がその物語の中にいることになり、
それぞれの絡みが面白くなっていくだろう。


作者と似たような人物しかいない物語では、
なあなあになってしまって終わる部分が多々ある。
「なんで? ふつうそんなに都合よくすすまないよね」
とおもってしまう下手な物語は、
似たような人間がもめずに進めてしまう、
ということになっているだけかもしれないよ。

違う人間像を掛け合わせて、もめごとを起こそう。
そのためには、
全員が違うことを無意識に考えていなくてはならない。
それは、こういう人間像とか哲学のようなものを、
深くインタビューすることで、
深く考えることができるだろう。

セルフチェックのようなものだけど、
今書いている話でやってみてほしい。

まったく似たキャラクターがいたら、
どこを離していくのか、
再考するべきだと思うよ。
posted by おおおかとしひこ at 17:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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