梗概を書こう。
梗概とは、1000字から1500字程度の、
あらすじのことだ。
必ず結末まで書くこと。
長いものを書けば書くほど、
梗概は本編に対して短くなる。
15分の短編(6000字)に対しての1000字と、
小説一本(10万字以上)に対しての1000字は違うだろう。
長いものほど、
梗概を書いてみたほうがよい。
それは、ものすごく凝縮しないといけないからだ。
苦しんで書いたものを、
たったこれだけに凝縮しなければならないということは、
ほとんどを捨てて、
骨だけ残さないといけない、
ということである。
つまりは、
その物語の骨格がそもそも面白いんだっけ、
という事がありありとバレてしまう、
ということだ。
骨格がよれていたり、
弱いものでも、
ガワでごまかすことはある程度できる。
たとえば「来る」という珍作は、
ストーリーの骨格が全然面白く無かったが、
ナカテツの演出技法だけで持っていたような映画だった。
骨格のそもそもが面白い物語は、
たいていは骨太と言われる。
そういうものを目指そう。
たいていの外乱があっても、
骨太な面白さがあれば、
なんとかなる。
下手でも見てくれる。
私たちは、
華麗なテクニックで本質をごまかしているものをみたいのではない。
たとえ下手でも、
骨太な面白さがあるものを求めている。
華麗なテクニックは、一生骨太にならない。
骨太なものは、いつかテクニックを身につけて完璧になるだろう。
私たちは、骨がそもそも面白いのか、チェックする必要がある。
そのために、
長いものを凝縮する梗概の方法論は、とても役に立つ。
自分の書いたものの、骨だけしか見れない文字数だからだ。
たとえば、ロッキーの骨だけを抽出すると、
骨だけの話なんだなあということが良く分る。
すごくタフな物語だ。
これに、
イタリア男の魅力や郊外フィラデルフィアの感じや、
生卵飲みや、エイドリアンのもてない感じや、
テーマ曲などのガワが加わって、
ロッキーは永遠の名作たり得た。
それで何がおもしろいん?
梗概を書くことで、それはチェック出来るだろう。
せっかく書いたものが、
梗概だけしか読まれずに捨てられることは、
よくあることである。
梗概だけで面白い物語を書くように、
そもそも骨太の話を考えるべきである。
2018年12月29日
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