2018年12月30日

その発想はなかった

なるべくそういうものにしよう。

それは、単なる逆張りを意味しない。


よく言われるのは、
「犬が人を噛んでもストーリーにならないが、
人が犬を噛むとストーリーになる」
というやつだ。

これは、
「普段よくあるものと逆の発想をすると、
そこにストーリーの種が潜んでいる」
ということを意味している。

しかし、人が犬を噛んだだけではストーリーにならない。
それはストーリーの中の点にすぎないからだ。

何故人が犬を噛んだのか。
それから何が起こったのか。
誰がどういう反応をしたのか。
どういう展開が次にあるのか。
そして最終的にはどうなったのか。
最後に、人が犬を噛んだことに、なんの意味があったのか。

これらが揃って、
ようやくストーリーになる。


起承転結理論において、
承は順目の展開、
転は逆目の展開、
と考えることができる。
結は、その逆目の意味をあかして、
なるほどねと思わせて、
はじめて落ちになる。

ただ単なる逆張りは、
人目を引くだけで終わってしまう。

その逆が、
なるほどねという意味を生じる、
落ちこそが逆目とペアになっていることに留意されたい。


単なる逆張りはバカでもできる。
人が犬を噛めば簡単だ。

しかしその後の展開やその落ちがなければ、
それはストーリーではなく、
単なる目立ちたがりでしなない。

何イィ!と驚かせたら、
なるほどおおおと納得させなければならない。

「一見意外なぶっ飛んだものに見えるが、
説明されると腑に落ち、
なるほどよく考えられてある、
常識に凝り固まった頭ではなく、
柔軟にものを見て本質を掬い上げるべきだなあ」
というようなことを思う時、
「その発想はなかった」
という感想が出てくる。

そういうものをつくろう。



逆張りだけして、
ケツを持たなかったものに、
「ファイアパンチ」がある。

逆張りは若者の特権だ。
恐れを知らぬ者が無謀につっこむ。
問題はケツを持たなかったこと
(落ちを誤魔化している)で、
僕は一生これを晒しものにする。

今までやっていた悪行を、地球破壊によって全クリして、
ビッグマザーに抱かれておしまい、
という赤ん坊のような責任放棄を僕は許さない。

この失敗作を見て、
「責任のない逆張り」の反面教師とするべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:20| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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