構成理論に対する勘違いは、
ここにあるのではないか。
構成理論を一通り勉強すると、
自分でも書けそうな気になってくる。
ちまたの脚本入門書は、
「ぼくでもかける!」と思わせてお金を出させるから、
必要以上に書けそうに思わせる。
しかし構成理論は、
あくまで骨格の、一部の関節を規定するだけだ。
背骨を想像しよう。
いくつ関節があるだろうか。
構成理論はそのうち、
「肩関節と股関節はここ」
というようなことを言っているにすぎない。
細かな関節は何も予言しない。
大体のシルエットしか言っていない。
構成理論は分析には万能だけど、
書く者には中途半端な理論だと思う。
つまり構成理論は一種のセミナー詐欺だ。
今からすごいことを教えます、
使いこなせるかどうかはあなた次第です、
といって高額の金をとって逃げていくやつだ。
ぼくはお金を取らない。
ここはボランティアでやっている。
だから「きみもかける!」なんて甘い嘘はつかない。
「あなたが書く以外、誰も進めてくれない」
というほんとうのことを書く。
次に何を書くべきか?
それは誰も教えてくれない。
自分で解決しないかぎり、解決できない。
ヒントはある。
「今までの流れ」だ。
今までの流れからして順当に続くのを、順目という。
今までの流れからして意外な展開を、逆目という。
そして、今まで順目できたのか逆目できたのか、
という更に大きな流れもある。
それが決めるかもしれない。
今、予測を裏切ったほうが面白いかな。
今、期待に応えるほうが面白いかな。
今どっちかは、動物的なカンで決めなさい。
そのカンは、経験と才能でしか磨かれない。
ずっと逆張りするバカは、中身がないと見抜かれる。
ずっと順当にしかしないやつは、詰まらないと言われる。
どうやったらドキドキして、
ワクワクして、
夢中になって、
心が翻弄されるか、
そしてどうやったら落ちへ向かえるか、
必死で考えるのだ。
落ちが決まってないのに、
どこへ向かうかなんてわかりっこない。
落ちも決めずにスタートするのは、
嵐に羅針盤なしで船を出すことだ。
迷走して大破するに違いない。
構成理論が役に立つのは、
「先に落ちを決めろ」というただ一点ではないかな。
最初は第一ターニングポイントすげえ、
とかってなるけれど、
その前後に何をすればいいかなんて、
自分で思いつくしかないからね。
何回か書けば、
第一ターニングポイントや第二ターニングポイントらしきものは、
自然に書けるようになってくる。
何回書いても、
次に書くべきシーンが何かは、
いつも分からなくなる。
僕は、
ただ必死に、
登場人物の目的と、
現在の状況を整理して、
順目の展開と逆目の展開を考えて、
直近の目的地とちょっと遠くの目的地と、
最終目的地を眺めて、
面白そうなやつを思いつくまで頑張るだけだ。
順目と逆目しかない。
それだけを考えれば、
次に書くべきシーンは、どっちであるべきか、
集中しやすいかもしれない。
2019年01月01日
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