2019年01月02日

日本のTVCMに希望が持てなかった

大阪の実家で、二日割とたくさんテレビをみた。
東京の我が家ではもうテレビはつかない。
再生モニタとしてしか使っておらず、
地デジチューナーがない。

だから、一年おきにテレビの凋落をチェックできる。


ちっともCMが楽しそうではなかった。
表現というのは人となりを表す。
個人でもそうだし、法人でもそうだ。

ちっとも楽しそうにしている人がいなかった。

auの各商品合同と思われるのは、
内輪の悪ふざけにしか見えず、
非常に不快だった。
おそらくナカテツであろう長尺も、
「かつてあったなにかを真似している、
自分自身の薄っぺらさ」を感じた。

人は、人を見ればわかる。

みんなびびって挙動不審だ。
「刺されたら怖い」と心の奥底で思い、
身なりを整えることにしか気を使っていないと思った。

まるで童貞のデートだ。

お前がびびってんのを見に来たんじゃないよ。

本気で楽しんでて、
こっちまで晴れやかな気分になるものが、
一本もなかった。

ネタも乾いてる、
内輪で回している、
今の日本の構造が、
そのまま縮図になっていた。

金はかかっていない。
アイデアにオリジナリティがない。
感動も笑いもしない、場つなぎ。

ああ、今の日本だな。


僕は80年代に中高時代をすごし、
90年代に仕事を決めた。
もうそのテレビ業界はない。

残念だ。


解決えみちゃんねるだけが面白かった。
上沼恵美子だけが面白かった。
腹抱えてわらった。

新人の頃、
すき焼きの食べ放題に連れてってもらったそうだ。
でも偉い人が肉ばっかり食べて、
白菜しか回ってこない。
「おい肉お代わりや」いうても、
店員さんが「白菜全部食べるまで肉はあきまへん」と。
で、「座布団の下に白菜隠せ」と、
新人の恵美子は言われたらしい。
もうこのボケが素晴らしい。
そんな発想する人いまいる?

で、散々肉をお代わりしては、
座布団の下に白菜を隠し、
ベチャベチャになった座布団を強烈に覚えているのだそうだ。

「で、今でもお座敷行ったら座布団の下に白菜隠されてへんか、
思わず裏返すんですわ」

このオチ。
これが笑いである。

こういう風に、おはなしはあるべきだ。
こういう風に落ちた時に、拍手は起こるのである。


CMに戻ると、
白菜を座布団に入れようというCMがどこにもなかった。
しょうもないことをしようとしていても、
前のめり感が全然なかった。
CMとはオチが企業または商品である。
最後に落ちる見事さが、
おはなしの見事さだ。

未だに座布団裏返して確かめるに相当する、
見事な落ちはひとつもなかったね。


ナンバーワンは、VJA。
VISAグループ全体の企業広告。
宝塚?の人が踊る。
この、「一流に見えるが三流」の匙加減が絶妙。
「へい!」のアップは完璧。

おそらく、関わったVISAグループの全員は、
これが一流だと思ってハンコを押したことだろう。
ディレクターだけが、
それを馬鹿にして三流の出来に仕上げた。
老害をおちょくる、一流の皮肉を仕事にした。

同じことが、
オリンピックと大阪万博で起こることは、
目に見えている。


老害を突破するのか、迂回するのか。
それぞれの持ち場で戦うといい。
posted by おおおかとしひこ at 14:43| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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