大阪の実家で、二日割とたくさんテレビをみた。
東京の我が家ではもうテレビはつかない。
再生モニタとしてしか使っておらず、
地デジチューナーがない。
だから、一年おきにテレビの凋落をチェックできる。
ちっともCMが楽しそうではなかった。
表現というのは人となりを表す。
個人でもそうだし、法人でもそうだ。
ちっとも楽しそうにしている人がいなかった。
auの各商品合同と思われるのは、
内輪の悪ふざけにしか見えず、
非常に不快だった。
おそらくナカテツであろう長尺も、
「かつてあったなにかを真似している、
自分自身の薄っぺらさ」を感じた。
人は、人を見ればわかる。
みんなびびって挙動不審だ。
「刺されたら怖い」と心の奥底で思い、
身なりを整えることにしか気を使っていないと思った。
まるで童貞のデートだ。
お前がびびってんのを見に来たんじゃないよ。
本気で楽しんでて、
こっちまで晴れやかな気分になるものが、
一本もなかった。
ネタも乾いてる、
内輪で回している、
今の日本の構造が、
そのまま縮図になっていた。
金はかかっていない。
アイデアにオリジナリティがない。
感動も笑いもしない、場つなぎ。
ああ、今の日本だな。
僕は80年代に中高時代をすごし、
90年代に仕事を決めた。
もうそのテレビ業界はない。
残念だ。
解決えみちゃんねるだけが面白かった。
上沼恵美子だけが面白かった。
腹抱えてわらった。
新人の頃、
すき焼きの食べ放題に連れてってもらったそうだ。
でも偉い人が肉ばっかり食べて、
白菜しか回ってこない。
「おい肉お代わりや」いうても、
店員さんが「白菜全部食べるまで肉はあきまへん」と。
で、「座布団の下に白菜隠せ」と、
新人の恵美子は言われたらしい。
もうこのボケが素晴らしい。
そんな発想する人いまいる?
で、散々肉をお代わりしては、
座布団の下に白菜を隠し、
ベチャベチャになった座布団を強烈に覚えているのだそうだ。
「で、今でもお座敷行ったら座布団の下に白菜隠されてへんか、
思わず裏返すんですわ」
このオチ。
これが笑いである。
こういう風に、おはなしはあるべきだ。
こういう風に落ちた時に、拍手は起こるのである。
CMに戻ると、
白菜を座布団に入れようというCMがどこにもなかった。
しょうもないことをしようとしていても、
前のめり感が全然なかった。
CMとはオチが企業または商品である。
最後に落ちる見事さが、
おはなしの見事さだ。
未だに座布団裏返して確かめるに相当する、
見事な落ちはひとつもなかったね。
ナンバーワンは、VJA。
VISAグループ全体の企業広告。
宝塚?の人が踊る。
この、「一流に見えるが三流」の匙加減が絶妙。
「へい!」のアップは完璧。
おそらく、関わったVISAグループの全員は、
これが一流だと思ってハンコを押したことだろう。
ディレクターだけが、
それを馬鹿にして三流の出来に仕上げた。
老害をおちょくる、一流の皮肉を仕事にした。
同じことが、
オリンピックと大阪万博で起こることは、
目に見えている。
老害を突破するのか、迂回するのか。
それぞれの持ち場で戦うといい。
2019年01月02日
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