2019年01月04日

増量したところは減速しているか

最初に書いた時が、
最も定速で書けている。

増量すると、その速度より落ちることがよくある。


第一稿なんて、勢いで書くものだ。
初期衝動で書くからだ。

だから、たいていの場面では勢いがある。
詰まって書いたところは減速していて、
勢いよく書けたところは筆が乗っている。

リライトでは、
「その速度感を揃える」こともやる。

物語の速度と、筆の速度を揃えるのである。

勢いがある表現でも、
実際の物語の速度より速ければ、
状況の整理を足したりして、
文字と速度の関係を整える。

逆にたるくなってしまっているところは、
上手に凝縮して、
物語のカタパルトに乗せて行く。

うまく速度感があってるところはキープして、
それに合わせて周囲を整える。

あるいは、
意図的に増速部分、減速部分をつくり、
意図的に速度的起伏をつくる。

そのようなことをすることも、
リライトの役目である。

勿論それは、内容と両輪だから、
内容の増減と関係することも多い。


ところで、
単純に増量した部分は、
たいてい減速してしまうことがほとんどだ。

物語のスピードに対して、
文字が増えるからだ。


それが減速感につながり、
詰まらなさにつながることが、
まれによくある。

だから、増量したいならば、
うまく増量しなければならない。

極端にいうと、
「この足したシーン全切りのほうがテンポ良くなる」
と思われてはなんの意味もないのだ。

今広がるそのシーンが、
物語をより豊かに、より深く、より広げ、
しかもよりテンポアップしているように、
書かなければならない。

むしろ足したことで加速しているかのような感覚を、
得られるように書くべきだ。

余計なものが加わって遅くなるのでは意味がない。
新たな展開になったことで、
よりスピードは増し、
さらに深みへ潜る扉が開くように、
作り込むべきだ。

増量した部分が終わって元部分に戻ってきた時、
そこに新たな深みや速度感が追加されていなければならない。
速度感のためには、
そこの部分をやや削ったほうが、
より加速することになるだろうね。

だから、増量+減量で、やや増量、
となるのが、
「今試している増量が速度感をキープしているか?」
の指標になるのではないかなあ。


速度感は、
読んでみないと分からない。
一気読みをしてみないと分からない。

メモなしで一気読みをする。
(何故なら観客は一時停止をしないから)
遅かったところと速かったところを思い出してメモして、
次のリライトの指針とすれば良い。


増量は難しい。
テンポが歪む。

増量したことで、
ひとつ要素が増えたり、伏線が増えている。
それが今後のために不可欠であるように作らないと、
そもそもその増量はただの水増しだ。

スカスカの水増しでなく、
より練りこんだ要素になり、
かつそこで物語が加速するように書けば、
その増量は、
「やらなかったよりやった意味がある」
ようになる。

つまり、その後に、
その部分を必ず再利用することになる。

単純部分増量ではなく、
その部分は各所を増量する。

それが構造を豊かにし、
より膨らんだ物語にしない限り、
単純なドーピング筋肉のように、
ナチュラルな動きの枷になってしまうだろう。

増量は、むしろテンポを上げる。
そうなるようなものが理想だ。
posted by おおおかとしひこ at 12:40| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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