最初に書いた時が、
最も定速で書けている。
増量すると、その速度より落ちることがよくある。
第一稿なんて、勢いで書くものだ。
初期衝動で書くからだ。
だから、たいていの場面では勢いがある。
詰まって書いたところは減速していて、
勢いよく書けたところは筆が乗っている。
リライトでは、
「その速度感を揃える」こともやる。
物語の速度と、筆の速度を揃えるのである。
勢いがある表現でも、
実際の物語の速度より速ければ、
状況の整理を足したりして、
文字と速度の関係を整える。
逆にたるくなってしまっているところは、
上手に凝縮して、
物語のカタパルトに乗せて行く。
うまく速度感があってるところはキープして、
それに合わせて周囲を整える。
あるいは、
意図的に増速部分、減速部分をつくり、
意図的に速度的起伏をつくる。
そのようなことをすることも、
リライトの役目である。
勿論それは、内容と両輪だから、
内容の増減と関係することも多い。
ところで、
単純に増量した部分は、
たいてい減速してしまうことがほとんどだ。
物語のスピードに対して、
文字が増えるからだ。
それが減速感につながり、
詰まらなさにつながることが、
まれによくある。
だから、増量したいならば、
うまく増量しなければならない。
極端にいうと、
「この足したシーン全切りのほうがテンポ良くなる」
と思われてはなんの意味もないのだ。
今広がるそのシーンが、
物語をより豊かに、より深く、より広げ、
しかもよりテンポアップしているように、
書かなければならない。
むしろ足したことで加速しているかのような感覚を、
得られるように書くべきだ。
余計なものが加わって遅くなるのでは意味がない。
新たな展開になったことで、
よりスピードは増し、
さらに深みへ潜る扉が開くように、
作り込むべきだ。
増量した部分が終わって元部分に戻ってきた時、
そこに新たな深みや速度感が追加されていなければならない。
速度感のためには、
そこの部分をやや削ったほうが、
より加速することになるだろうね。
だから、増量+減量で、やや増量、
となるのが、
「今試している増量が速度感をキープしているか?」
の指標になるのではないかなあ。
速度感は、
読んでみないと分からない。
一気読みをしてみないと分からない。
メモなしで一気読みをする。
(何故なら観客は一時停止をしないから)
遅かったところと速かったところを思い出してメモして、
次のリライトの指針とすれば良い。
増量は難しい。
テンポが歪む。
増量したことで、
ひとつ要素が増えたり、伏線が増えている。
それが今後のために不可欠であるように作らないと、
そもそもその増量はただの水増しだ。
スカスカの水増しでなく、
より練りこんだ要素になり、
かつそこで物語が加速するように書けば、
その増量は、
「やらなかったよりやった意味がある」
ようになる。
つまり、その後に、
その部分を必ず再利用することになる。
単純部分増量ではなく、
その部分は各所を増量する。
それが構造を豊かにし、
より膨らんだ物語にしない限り、
単純なドーピング筋肉のように、
ナチュラルな動きの枷になってしまうだろう。
増量は、むしろテンポを上げる。
そうなるようなものが理想だ。
2019年01月04日
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