2019年01月08日

最初に奥義あり

などと武術の世界では言う。
日本の習い事は大体そうかも知れない。

つまりこれって伏線だよね。


武術の話で考える。
(これは小をもって大を考える考え方だ。
小で考察したことが、
大に適用できることで考え方を拡大するのだ)

最初に立ち方、構え、動き方、拳の握り方、
基本の突き蹴りを教える。
受け身もか。

で、色々な技に入る。
段階的に複雑で強力になってゆく。
技の返し技、その返し技などにも発展する。

最終的に色々出来るようになってしまったら、
結局最初に習った基本が全部できてないと、
効果的で威力がないということがわかるようになる。

一番大事なことを、
一番初めから長く鍛錬したから、今がある。
そういう構造になっている。

これは洗練された体系を持つ武術に限られる。
適当に継ぎ接ぎした体系にはあまり見られない。
たとえば蟷螂拳とか。
(だから蟷螂拳では源流の少林拳の基本を繰り返すことが多い。
小虎燕とか。これが奥義に繋がっているかは微妙だ)


つまり、いきなり結論をいうと、
洗練とは伏線だ。

何かを洗練するということは、
バラバラの何かをただ並べることではない。
少なくともそれらを整理することが必要である。

何かは何かと関連づけて隣に置かれたり、
対照的に置かれたり、
何かは何かの発展だったり、
あることを踏まえないと次がわからないなら、
それは順序を発生させるわけだ。

あるいは、要らないものを捨てたり、
あえて省略して発展させることもある。

そうして、複雑なことを整理していく。

そして、それらが一気通貫される何かによって前振りされ、
それらが最後に至る時に、
円環を閉じるように最初のものに戻ることが、
はじめに奥義ありの状態だ。

奥義とはすなわち伏線である、ということだ。

伏線とは、
複雑なものを理解するための、整理の手段のひとつと言えると思う。

必ず必要なわけでもないし、
これがないと洗練でないわけでもないし、
洗練のベストの方法とも限らない。

しかし、複雑な何かを、
伏線と解消の関係で、
「完全に理解した」まで結びつけることが可能な、
ひとつの方法である、
ということは言えるだろう。


はじめに奥義あり。
あなたは、テーマに関係するどういう伏線を最初に張ってある?
その伏線と落ちが連動したその時、
そのストーリーはそのテーマで全てが一気通貫される。
posted by おおおかとしひこ at 10:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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