2019年01月09日

すごい、わかる、ひどい

この三つを、意図的に使い分けているか?


人が物語にのめり込むのは何故だろう?

大きく分けると三種類あると考えられる。

自分よりもあまりにも高みにあるもの、
自分と同程度の親近感、
自分よりもあまりに下で、自分を安心させるためにあるもの、
である。

解釈者は自分でしかないから、
自分との距離感で見るわけだ。


つまり、さらに大きくいうと、
自分と全く遠い世界に行きたいし、
自分と似てる部分も見たいのである。

海外旅行に行きたいし、
その外国ででも「わかる」とやりたいのだ。


で、自分と遠いものとして、
上流階級とか偉人とかの、上位互換の話と、
下層階級や酷い価値観の、下位互換の話があるわけである。

前者は憧れ、目標、尊敬などを生み、
後者は、酷いものを見ることで現在の自分の地位に安心を生む。

つまり、
上を見たらきりがなく、
下を見てもきりがなく、
自分と似たようなところを好きになるわけだ。

まったく、人間というものは贅沢だ。

多くの場合、
上に一枚目(活躍するヒーロー)と二枚目(脇のイケメン)を置き、
三枚目(ギャグ担当)に同程度の役をさせ、
悪役に下を担当させる。

酷くひどい、下の世界を探検させて、
そこで上の人が成功する様を見て、
ハッピーエンドを味わうわけだ。

で、完全無欠のヒーローだと人間味がないので、
一枚目や二枚目に欠点や庶民的な一面を持つようにして、
「自分と同じ人間なんだ」と思わせて、
三枚目との距離感に時々あわせ、
三枚目も時にヒーロー的な活躍をさせて、
庶民でも活躍する夢をみれるようにするわけである。


ダークファンタジーなんかその典型で、
とにかく酷くて厳しい価値観に放り出すことで、
なるべく過酷な運命を負わせて、
その時に人はどうするのか、
その矜持を見る見世物であるといえよう。


人は、
ここから遠くに離れたい。
同時に、ここから離れすぎると不安になる。
何が遠くのもので、
何が共感する近くのものか、
あなたは自分の作品世界を切り分けて把握しているだろうか?

そして、
上と下と同程度を、単純に置くのではなく、
ある面の別の面みたいに作って置くと、
複雑な味わいが出てくるだろう。
ていうか、それがうまく使えて、ようやく普通だ。


すごい、わかる、ひどい。

それらにたとえば赤青黄色を対応させて、
自分のストーリーを色分けして見ると良い。
偏っていたら、
振り幅のない、詰まらないものかもしれないよ。

もちろん、三色揃うのが理想なのは分かっている。
それをうまく揃えている例で勉強するといいかもね。

(失敗例は、SW1のジャージャービンクスだ)
posted by おおおかとしひこ at 12:00| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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