この三つを、意図的に使い分けているか?
人が物語にのめり込むのは何故だろう?
大きく分けると三種類あると考えられる。
自分よりもあまりにも高みにあるもの、
自分と同程度の親近感、
自分よりもあまりに下で、自分を安心させるためにあるもの、
である。
解釈者は自分でしかないから、
自分との距離感で見るわけだ。
つまり、さらに大きくいうと、
自分と全く遠い世界に行きたいし、
自分と似てる部分も見たいのである。
海外旅行に行きたいし、
その外国ででも「わかる」とやりたいのだ。
で、自分と遠いものとして、
上流階級とか偉人とかの、上位互換の話と、
下層階級や酷い価値観の、下位互換の話があるわけである。
前者は憧れ、目標、尊敬などを生み、
後者は、酷いものを見ることで現在の自分の地位に安心を生む。
つまり、
上を見たらきりがなく、
下を見てもきりがなく、
自分と似たようなところを好きになるわけだ。
まったく、人間というものは贅沢だ。
多くの場合、
上に一枚目(活躍するヒーロー)と二枚目(脇のイケメン)を置き、
三枚目(ギャグ担当)に同程度の役をさせ、
悪役に下を担当させる。
酷くひどい、下の世界を探検させて、
そこで上の人が成功する様を見て、
ハッピーエンドを味わうわけだ。
で、完全無欠のヒーローだと人間味がないので、
一枚目や二枚目に欠点や庶民的な一面を持つようにして、
「自分と同じ人間なんだ」と思わせて、
三枚目との距離感に時々あわせ、
三枚目も時にヒーロー的な活躍をさせて、
庶民でも活躍する夢をみれるようにするわけである。
ダークファンタジーなんかその典型で、
とにかく酷くて厳しい価値観に放り出すことで、
なるべく過酷な運命を負わせて、
その時に人はどうするのか、
その矜持を見る見世物であるといえよう。
人は、
ここから遠くに離れたい。
同時に、ここから離れすぎると不安になる。
何が遠くのもので、
何が共感する近くのものか、
あなたは自分の作品世界を切り分けて把握しているだろうか?
そして、
上と下と同程度を、単純に置くのではなく、
ある面の別の面みたいに作って置くと、
複雑な味わいが出てくるだろう。
ていうか、それがうまく使えて、ようやく普通だ。
すごい、わかる、ひどい。
それらにたとえば赤青黄色を対応させて、
自分のストーリーを色分けして見ると良い。
偏っていたら、
振り幅のない、詰まらないものかもしれないよ。
もちろん、三色揃うのが理想なのは分かっている。
それをうまく揃えている例で勉強するといいかもね。
(失敗例は、SW1のジャージャービンクスだ)
2019年01月09日
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