2019年01月14日

完成というのはいつ決まるのか

これはとても難しい。
「あなたの思うようなものが出来たとき」
が完成ではない。
それはあなたの自己満足だ。


あなたの思うようなものを作ることが、
創作の目的ではない。
まあ自分で楽しむだけなら問題ないが、
発表前提のものではない。

人に鑑賞してもらうというなら、
「人が没入して、満足できるもの」
になった時が完成、と言えるのではないだろうか。

もちろん、
「作者が満足いくような完成度で、
かつ観客が最高に楽しめるもの」
になっているのがベストだが、
次善は、
「作者が満足いっているが、
観客はさっぱりなもの」ではなく、
「作者は満足いっていないが、
観客は愛せるもの」
であるべきである。

この二つを混同しないことだ。

だから、
「完成」と思うときというのは、
あなたの満足度など関係ない、
ということをいつも頭の片隅に置いておくことだ。

創作というのは全能感に浸る行為であるが、
それに溺れてはいけない。
あなたの全能感を満足させることはなんのメリットもない。

完成度が上がる、という効果はあるが、
それが観客の楽しみに寄与しているのか、
ということを常に考えなければならない。
自分の周りの近視眼ではなく、
対観客目線でチェックしないといけない、
ということを意味している。

こだわりで入れた所が、
理解のテンポをくずしているならば、
断腸の思いでカットするべきである。
入れたくない完成度の低いものでも、
ストーリーを楽しむうえでぜひ必要なものなら、
完成度を下げてでも挿入しておくべきだ。
(できればそれにさらに磨きをかけて、
入れても遜色ないパートにするべきだが)

裏設定ではこうだったが、
なんてどうでもいいこだわりは捨てたまえ。
どれだけの情報が現実に観客に提供されて、
どれだけの想像がそこから膨らむかを、
コントロールしなさい。

それが最大に面白くなるように、
最後は微調整をしていくものだ。



昨年からずっと手を入れてきた原稿が、
ようやく完成直前になってきた。

自分のこだわりなんてどうでもいい。
面白くなるように、
詰まらない枝葉はカットし、
カットしてテンポが変わってしまう部分は復活する。
それらの足し引きを、
延々やっている。
どこを増量して足したのか、もう痕跡がないくらいに、
一体化しているので、
あとは「面白いかどうか」が、
唯一の判断基準になってきた。

うまくいくかどうかは、
「呑まれないこと」だが、
同時に「呑まれて翻弄される観客」
にもならなければならないのが、
とても難しい。

毎回、頭から最後まで通してリライトしていくが、
毎回違う旅になるのが面白い。
その宇宙の中で、
「観客として最も楽しめたバージョン」
が正解だということは、常に意識しよう。

ということは、あなたはもっとも優秀な観客でなければならないのだ。

あなたが、
最高の作者であること。
最高の観客であること。
最高の批評家であること。
最高のアドバイザーであること。
最高のプロデューサーであること。

これらが全部良し、と思ったとき、
あなたの作品は完成だろう。
posted by おおおかとしひこ at 13:38| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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