これはとても難しい。
「あなたの思うようなものが出来たとき」
が完成ではない。
それはあなたの自己満足だ。
あなたの思うようなものを作ることが、
創作の目的ではない。
まあ自分で楽しむだけなら問題ないが、
発表前提のものではない。
人に鑑賞してもらうというなら、
「人が没入して、満足できるもの」
になった時が完成、と言えるのではないだろうか。
もちろん、
「作者が満足いくような完成度で、
かつ観客が最高に楽しめるもの」
になっているのがベストだが、
次善は、
「作者が満足いっているが、
観客はさっぱりなもの」ではなく、
「作者は満足いっていないが、
観客は愛せるもの」
であるべきである。
この二つを混同しないことだ。
だから、
「完成」と思うときというのは、
あなたの満足度など関係ない、
ということをいつも頭の片隅に置いておくことだ。
創作というのは全能感に浸る行為であるが、
それに溺れてはいけない。
あなたの全能感を満足させることはなんのメリットもない。
完成度が上がる、という効果はあるが、
それが観客の楽しみに寄与しているのか、
ということを常に考えなければならない。
自分の周りの近視眼ではなく、
対観客目線でチェックしないといけない、
ということを意味している。
こだわりで入れた所が、
理解のテンポをくずしているならば、
断腸の思いでカットするべきである。
入れたくない完成度の低いものでも、
ストーリーを楽しむうえでぜひ必要なものなら、
完成度を下げてでも挿入しておくべきだ。
(できればそれにさらに磨きをかけて、
入れても遜色ないパートにするべきだが)
裏設定ではこうだったが、
なんてどうでもいいこだわりは捨てたまえ。
どれだけの情報が現実に観客に提供されて、
どれだけの想像がそこから膨らむかを、
コントロールしなさい。
それが最大に面白くなるように、
最後は微調整をしていくものだ。
昨年からずっと手を入れてきた原稿が、
ようやく完成直前になってきた。
自分のこだわりなんてどうでもいい。
面白くなるように、
詰まらない枝葉はカットし、
カットしてテンポが変わってしまう部分は復活する。
それらの足し引きを、
延々やっている。
どこを増量して足したのか、もう痕跡がないくらいに、
一体化しているので、
あとは「面白いかどうか」が、
唯一の判断基準になってきた。
うまくいくかどうかは、
「呑まれないこと」だが、
同時に「呑まれて翻弄される観客」
にもならなければならないのが、
とても難しい。
毎回、頭から最後まで通してリライトしていくが、
毎回違う旅になるのが面白い。
その宇宙の中で、
「観客として最も楽しめたバージョン」
が正解だということは、常に意識しよう。
ということは、あなたはもっとも優秀な観客でなければならないのだ。
あなたが、
最高の作者であること。
最高の観客であること。
最高の批評家であること。
最高のアドバイザーであること。
最高のプロデューサーであること。
これらが全部良し、と思ったとき、
あなたの作品は完成だろう。
2019年01月14日
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