2019年01月20日

僕は小林靖子が嫌いなのである(「映画刀剣乱舞」評1)

タカラヅカや舞台ならば、
肉体を持たない嘘臭さが、ごまけたかもしれない。

刀剣男子は人間じゃないとはいえ、
生身の人間が演じる、映画だ。
それは人間ドラマであるべきではなかったか?


まったく三日月に感情移入出来ない。
そりゃそうだ。
ずっと何かを隠している→ネタバレ、
だけの流れだからだ。

何かを隠している人に感情移入できない。
むしろ、
「あいつはなに考えてんだ」
とイライラする周囲に同調するわ。

つまり、僕はこのストーリーにイライラしていた。

目的はわかった。
しかしそこに感情移入出来ない。

なぜ歴史は守られなければならないのか?
踏まれた花だけで、
その大義を言えたことにはなっていない。


もちろん僕はゲームをやってないし、
舞台も見ていない。
時間遡行軍が何者かも知らないし、
彼らの戦いがどういうものかもしらない。
つまり刀剣乱舞初見だ。

この映画だけが情報ソースである。

だから、
歴史を守ろうとする彼らになんの感情移入もない。
この映画だけで感情移入しなければならない。

正義を守るストーリーは、
正義が有名無実になっては面白くない。
観客が、悪を憎み、正義を讃えるようにならなければ、
勧善懲悪は面白くならない。


そもそも、僕は小林靖子脚本が嫌いだ。
彼女のストーリーに感情移入できたことがない。
だから覚悟をしていったのだが、
本当にひどかった。

彼女は悪を知らないし、正義も知らない。
平成仮面ライダーは、だから全然好きじゃない。
仮面ライダーは男が見るもので、
女が見るものではない。
それを女が見る「記号としての正義」にしてしまった、
戦犯が彼女だと僕は考えている。

正義は人間が肉体を持ってなすものだ。
概念ではない。
CGや付喪神ではなく、
人間が血と汗と涙で勝ち取るべきものである。
なんだあのピンクの薬で全回復って。

そんな都合の良いものは、ストーリーの資格がない。


八嶋智人の秀吉の怪演は面白かった。
新しい秀吉像を作ったと思う。
彼でなければ持たなかっただろうね。


ストーリーは見せ場の接続ではない。
そこに因果関係があり、説明がついたとしても、
それはただの時系列の報告だ。

そこに、我々が感情移入し、
一喜一憂をともにすることで、
ようやくストーリーはストーリーになる。



女をここから馬鹿にする。

女は肉体を持って肉体と戦う実感がない。
だから、男が空虚になりがちだ。

女だから、自分をラストの審神者に重ねている。
自分は幼く、かわいい、理由なく守られるべき存在で、
守ってくれるのは私好みのイケメンばかり。
この名前を僕はしっている。
メアリースーという。

その守られる存在を、僕はなんとも思わなかった。

女の逆ハーレム映画になにを文句言ってんだ、
って感じだろうか?

じゃあこれは、女が見るポルノということでよろしいか?


僕は、映画というものは、
全ての人に開かれたものであるべきだと考えている。
これは、ファンムービーでしかなく、
ファン以外が本気で楽しめる映画ではない。
1800円返せ。



鈴木拡樹は、ずっと野村萬斎かとおもったよ。
しかし一本調子なのがすごく気になった。
もっと抑揚をつけたりしろや、
とおもったのだが、
起伏のないストーリーなので演じ分けようがない役柄であったね。
鈴木拡樹の無駄遣いのシナリオだったなあ。

人気原作×イケメンモリモリ×女要素なしめ×殺陣は舞踊のように
×音楽は浅倉大介系×舞台とコラボのテニプリ方式。

風魔からはじまった東宝の考えが、
ようやく花咲いたか。
でもこの組み合わせで足りなかったのは、
「面白いストーリー」だったことは確実だ。

脚本論的には0点の出来。
関係各位は腹を切れ。
posted by おおおかとしひこ at 00:06| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小林脚本がどういうものか知りませんが、その人と作品だけ否定していればいいのでは?

女をここから馬鹿にする。 以下必要なのか甚だ疑問です。

不朽の名作である少年マンガ風魔の小次郎をクソドラマに仕上げた監督の持論に逆に納得させられましたが。
Posted by 少年マンガ好き at 2019年01月20日 09:10
少年マンガ好きさんコメントありがとうございます。

風魔の小次郎の漫画版が、どのように不朽の名作であるか、
解説していただけると幸いです。

かつて僕はリアルタイムの少年として大ファンで、
JCも聖剣戦争の途中まで持っていました。
大人になって読み返した時、あのワクワクが全く面白くないことに気づき、
愕然としました。
その差はなににあるのかずっと自問自答しました。
それがドラマの脚本のスタートであったことは、
監督メモをご覧ください。

スタート地点が違うので、議論が噛み合わなそうで、
まずそこを確認したいです。


僕は女脚本家と女漫画家が凄く嫌いな、少年漫画好きです。
勿論個人の資質によりますが、
今まで好きな人は一人もいませんでした。
女漫画家の描く少年漫画は、少年に理想(客体)を投影しすぎる気がします。
少年は主体であるべきです。

もっとも、女漫画家の描く少年漫画が女の人に人気で、
それが業界を支えてきた歴史はあります。
しかし僕はそれが全部嫌いなのは、最初に断っておきます。
このへんは生理的な部分なので、
「男の描く女像は気持ち悪いのが多い」とか、
「ピアノ未経験者の描くピアニスト描写は気持ち悪い」
などと同様と思ってください。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年01月20日 11:58
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