2019年01月20日

キャラクターは見た目では決まらない(「映画刀剣乱舞」評2)

まあ、ゲーム原作であるから、
キャラの見た目の再現度を高めるのは、
わからなくもない。
でも、それだけだった。
見た目でしか区別のつかないキャラクターなんて、
映画ではエキストラと同等でしかない。

では、キャラクターは何で区別するのだろうか?


目的と動機で、である。


ストーリーにおける、
キャラクターの役割を考えればわかる。
その人がどういう動機で、
どういう目的を持っているかが、
その人のアイデンティティーだ。

だれだれが演じているとか、
髪が緑色をしているとか、
服がこういう系とか、
性格がこうこうとか、
そういうことは、キャラクターのガワでしかない。

ガワは脚本に書いていない。
ガワを設計するのはデザイナーだ。
衣装、メイク、監督などである。
今回でいえば、デザイナーは原作のゲームのデザイナーだ。

ゲームのキャラクターデザインは、
逆に、
見た目や性格でデザインする。
ストーリー自体はプレイヤーが作るから、
そのストーリーに対して、
想像が膨らみやすい、
髪型や性格や持ち物や服で、
いろいろなスタイルを作ってあげるのが、
ゲームにおけるキャラクターデザインだ。

しかし、
ストーリーがあるもののキャラクターデザインはそうではない。

「どんな見た目であったとしても、
ストーリー状区別がつく、
ストーリーに関係するもの」
で区別をつけるようにする。


ストーリーとは、すなわち、
シチュエーション、動機、行動、結果だ。
これらが異なるキャラクターが、
ストーリー上で異なるキャラクターである。

つまり、豊かなキャラクターとは、
目的や動機や、シチュエーションの、
バリエーションで描かれる。

ちょっとしたセリフやリアクションなどは、
ストーリーと関係ない。
関係ないというのは言い過ぎだが、
それがちがったとしても、
動機や目的がぶれることはないので、
交換可能である、という性質をもつ。
ストーリーは最悪無言でも進められる。
(そして無言で進められる部分が、
一番強い場面であったりする)
だから性格やセリフ回しなんて、

料理でいえば味付け程度だ。
胡椒を振るか七味を振るか程度の違いでしかない。
そもそもラーメンなのか、カレーなのか、の違いにはならないのだ。

さて。
この映画には、
何人の異なるキャラクターがいたか?

三日月(何を考えているかわからない。審神者のいうことを聞く)
長谷部(三日月に反抗する人)
記憶喪失の人
無名の中の人(倶利伽羅何とか)
の4人である。

それ以外は、目的や動機がはっきりせず、
大体刀剣男子としてのモブでしかなかった。

審神者や秀吉や信長は、
キャラクターに数えるべきではない。
彼らは何も変化していない、
ただの背景である。
人間の演じている背景である。
(格ゲーの人間背景と同じ)

その背景の前に置かれた、
人間ドラマをどう描くかが映画だ。


さて。
この4人の登場人物で、
描かれたドラマとは何か。

ひたすら隠し事をしていた三日月と、
彼に頼まれて玉を盗んだ記憶喪失の男と、
無名だったが刀剣男子だった男。

たったそれだけのごく小さな話だ。
二時間やる意味ある?
これ、15分くらいで終わるぜ。

つまり、あと1時間45分は、
まったく詰まらない、映画ではない何か
(たとえば秀吉の怪演やアクションやCG)を、
延々見せられたことになるわけだ。

ファンは、
いろいろなキャラクターが出てきて楽しめたかもしれない。
しかし映画単体でみると、
これはごく小さな15分程度で終わる、
4人の登場人物のストーリーでしかなかった。

だから、退屈なのだ。

バラエティー豊かで、
設定が凝っていたものが多いだろう。
衣装も凝っているし、殺陣もそれぞれ凝っていた。

芝居や言い方も色々変えていて、
ガワで個性を出そうと必死になっているのがよくわかった。

しかし、所詮はガワでしかない。
中身、
すなわち、動機と行動がぺらぺらであった。


最近、
撮影部、照明部、美術部、
編集部、CG部、録音部、音楽部、
衣装部、メイク部、宣伝部、
そして俳優部など、
技術スタッフが頑張っているのに、
肝心の中身がないものが、
増えているように思う。

バラエティーを見た目だけでとらえていて、
肝心なストーリーの中のバラエティーが欠けているものが増えた。

映画がドーナツ現象を起こしている。


誰が誰なんだか、
役者やスタッフが頑張っているのに、
全然わからなかった。

三日月においては、
同じ芝居ばかりで、
野村萬斎と変わらない三文芝居だと思った。
野村萬斎のほうが、「七つの会議」の予告編だけで、
豊かな降り巾を見せてくれるではないか。

いや、
キャラクターの中に波風や波紋が描かれていないのだから、
演者もやりようがない。つまり鈴木の責任ではなく、脚本家の責任である。


あとはまったく記憶に残らないし、
感情移入どころか、
設定だけの存在のようで、
人間のドラマを見ている気がしなかった。

イケメンだろうが刀であろうがロボットだろうが、
二時間の話なんだから、
それは人間ドラマであるはずだ。

全編車なのに人間ドラマになっている、
全編ロボットなのに人銀ドラマになっている、
カーズやウォーリーでも見て出直せ。

脚本家が、脚本で出来る、
キャラクターのバラエティーは、
動機や目的や行動や、
陥ったシチュエーションのバラエティーで決まる。
キャラは、そこで立つ。
けっして見た目や口癖や性格や服装で立つわけではない。
極端にいうと、棒人間でも面白いストーリーが、ほんとうの脚本である。

この脚本家はそういう意味で、
キャラクターを描き分けられない無能だ。
何人も出ていながら、
ほとんどのキャラクターはエキストラと同じであった。


東宝やべえな。
こんなものを堂々とスクリーンに流して悪びれないとは、
潰れるまでカウントダウンが始まっているのでは。

刀剣男子ファンは、もっと怒っていい。
映画版は失望しかなかったと。
もっと質の高い映画化をせよと。
posted by おおおかとしひこ at 18:14| Comment(4) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
刀剣乱舞ファン仲間にしつこく勧められて覗いたものの、
開始20分と経たずに退屈になり、50分で辛くなり視聴をやめました。

探せども絶賛の意見ばかりの中、私が感じていたものと全く同じことを言語化しているこちらのブログにたどりつき、ほっとしています。
ゲームプレイヤーでも納得のいかないシステムで描かれている上、キャラクターの性格も全く原作を参考にすらしておらず(三日月宗近はあそこまで真意が読めないキャラクターではありませんし、骨喰も記憶喪失をしつこく主張してくるはずがありません)、
「刀剣乱舞」の映画ではなく、得意な(と言われてチヤホヤされている)特撮の脚本に、借りたキャラクターの名前を入れ替えただけの、原作者と、善し悪しを見分けられる審美眼を持ったファン(残念ながら、好みのキャラクターが動いていればなんでもありという盲目の人が多いですが)に失礼極まりない出来になっていると感じ、いちゲームファンとして苛立ちが止まりませんでした。予告の段階から気づいていたので劇場に足を運ぶ気にもなれませんでしたし。

仕事だからと嫌々引き受けてしぶしぶ作ったような、情熱も愛も感じられない脚本に振り回されこのような作品が高評価される日本のエンターテインメント業界を嘆かわしく思います。
Posted by とある刀剣乱舞ファン at 2020年05月09日 23:08
とある刀剣乱舞ファンさんコメントありがとうございます。

ファンでありながら不幸な映画化に遭うことはさぞ辛いでしょう。

キャラクターをとあるプロットに貼り付けただけなのだとすると、
なんとなくその薄さがわかってきた気がします。
少女漫画をおっさんがやいやい言うのはお門違いなのですが、
映画批評のまな板に真面目に乗せた論評のつもりです。

舞台版を見ろと言われたまま、まだ手が出ない…
せめてどこがいいのか、
「女から見た男の魅力」以外で語ってくれる人がいれば…
Posted by おおおかとしひこ at 2020年05月10日 00:00
お返事ありがとうございます。
大岡さまが初めて触れた刀剣乱舞作品があのような駄作であることが残念でございます。

確かに刀剣乱舞のメディアミックス作品は、少女漫画的、また或いはハーレム系少年漫画(五等分の花嫁等に代表される、パッとしない者がモテるもの)な要素が含まれた酷い展開の作品という言葉すらふさわしくない物も多くございます。
実際、アニメ化作品は2つともファンを金儲けの道具として見下しているのが透けて見えますし、コミックアンソロジー・小説アンソロジーのほとんども、ファンが描いている同人誌よりもレベルが低く読めたものではございません。

舞台版も最初の1作とその再演、4作目は、やはりシナリオ自体がダラダラとしていて「キャラクターが目の前で動いていればファンはそれでよいのだろう」「難しい作品はゲームファンごときには分からないだろう」という意図が伝わってくる部分が多々あります。
一方、伊達政宗を中心とした2作目、黒田官兵衛を中心とした3作目、は刀剣男士が出演しなければ描けない歴史ミステリーとして確立しています。時折、舞台作品にありがちな中だるみ感が得られる場面もありますが、特に3作目は偏見を抜きにして、ただの舞台作品として面白く見ることが出来ました。
もっとも、4作目で演出助手が変わったことで格が下がったのが目に見えて、最新作(坂本龍馬を中心とした6作目)では再び演出助手が変わり3作目ほどではありませんが舞台作品としてある程度いいものに仕上がってはいるものの、説明が足りず不親切という印象は受けたので、おそらく脚本演出の方というよりは周囲の方の力量に出来栄えが左右されてしまっているのだとは思いますが。
ですので、もし今後舞台版をご覧になられるのでしたら2作目か3作目を推奨いたします。
Posted by とある刀剣乱舞ファン at 2020年05月10日 05:08
>とある刀剣乱舞ファンさん

そういう網羅的な評価を待ってました。
提灯記事ばかりヒットして、
どこから手をつけていいのやら、
なにが地雷でなにが当たりかも分からなかったので。

地雷は先にそうだと分かれば踏むのは怖くないので、
1と2を調べれば感触が分かりそうですね。
ありがとうございます。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年05月10日 06:59
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