2019年01月21日

世の中には二種類のどんでん返しがある(「ミスター・ガラス)」評2)

シャマランといえばどんでん返し。
彼のどんでん返しはなにが素晴らしいのだろうか。

ネタバレなしで評論してみたい。


世の中には、
いいどんでん返しと、
悪いどんでん返しがある。

いいどんでん返しは、
「それまでのストーリーに夢中にさせた上で、
一気にひっくり返すどんでん返し」。
悪いどんでん返しは、
「どんでん返しがあることにあぐらをかき、
それ以前が退屈になってしまったもの」。

前者がシャマランで、
後者が映画「いけちゃんとぼく」だ。
そうだな、映画刀剣乱舞もそれにはいるな。


シャマランのどんでん返しは、
それまで夢中にみてきたものの、
「意味」をまるでひっくり返す。

それ以前とそれ以後で、
今まで見てきたものの意味が180度変わる。

どうでもいいものが180度変わっても、
まったくどうでもいいのだが、
いいどんでん返しの場合、
焦点の行く末の果てに起こるから、
やられた!となるのだ。


しかし、昨日今日と、
渋谷東宝の隣り合ったスクリーンで、
ここ一年最低の映画と、
ここ一年最高の映画を見るとは、
それこそどんでんの仕掛けのようだ。

映画なんて金を回すだけのつまらない公共工事だ、
と思わせておいて、
映画とは人々を驚かせ、夢中にさせ、
この先どうなるのだろうかと身構えさせ、
結末を知った後は人生に勇気が湧いてくる、
素晴らしい芸術である、
というどんでん返しであった。


そういえば、
「アンブレイカブル」も、
ジャンルが分類できない映画だった。
今回もそれだなあ。
一応スリラーに分類されるらしいが、
それはムードだけでしかなく、
陰謀や策略に関する映画だとも言えるだろうか。

モチーフはスーパーヒーローだが、
もっと人間の奥底にある、
暗い感情と、
勇気づけられるという感情を、
フルに刺激する映画であった。

これ以上はネタバレになるので論評できないのが残念だ。



We exist.
英語は時々、日本語よりも強力な力を放つ。
「おれたちは実在する」では捉えきれない、
ものすごい力があった。
posted by おおおかとしひこ at 01:45| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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