シャマランといえばどんでん返し。
彼のどんでん返しはなにが素晴らしいのだろうか。
ネタバレなしで評論してみたい。
世の中には、
いいどんでん返しと、
悪いどんでん返しがある。
いいどんでん返しは、
「それまでのストーリーに夢中にさせた上で、
一気にひっくり返すどんでん返し」。
悪いどんでん返しは、
「どんでん返しがあることにあぐらをかき、
それ以前が退屈になってしまったもの」。
前者がシャマランで、
後者が映画「いけちゃんとぼく」だ。
そうだな、映画刀剣乱舞もそれにはいるな。
シャマランのどんでん返しは、
それまで夢中にみてきたものの、
「意味」をまるでひっくり返す。
それ以前とそれ以後で、
今まで見てきたものの意味が180度変わる。
どうでもいいものが180度変わっても、
まったくどうでもいいのだが、
いいどんでん返しの場合、
焦点の行く末の果てに起こるから、
やられた!となるのだ。
しかし、昨日今日と、
渋谷東宝の隣り合ったスクリーンで、
ここ一年最低の映画と、
ここ一年最高の映画を見るとは、
それこそどんでんの仕掛けのようだ。
映画なんて金を回すだけのつまらない公共工事だ、
と思わせておいて、
映画とは人々を驚かせ、夢中にさせ、
この先どうなるのだろうかと身構えさせ、
結末を知った後は人生に勇気が湧いてくる、
素晴らしい芸術である、
というどんでん返しであった。
そういえば、
「アンブレイカブル」も、
ジャンルが分類できない映画だった。
今回もそれだなあ。
一応スリラーに分類されるらしいが、
それはムードだけでしかなく、
陰謀や策略に関する映画だとも言えるだろうか。
モチーフはスーパーヒーローだが、
もっと人間の奥底にある、
暗い感情と、
勇気づけられるという感情を、
フルに刺激する映画であった。
これ以上はネタバレになるので論評できないのが残念だ。
We exist.
英語は時々、日本語よりも強力な力を放つ。
「おれたちは実在する」では捉えきれない、
ものすごい力があった。
2019年01月21日
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