ブレイクシュナイダーは、
「ヒーローストーリーとは、
普段自分の力を発揮できる場に恵まれていない、
と思う者が見るものだ」
という洞察を残している。
今男たちは、戦う場を奪われている。
これは、本当に戦いたいのに、
誤解を受け続けた男たちの物語だ。
以下ネタバレ。
別に骨折しまくる肉体を持たなくとも、
鉄の扉をぶちやぶれなくとも、
ビースト人格がなくても、
人は誤解されて生きている。
本当の自分は理解されず、
受け入れられない。
それは自分のせいなのだろうか?
他人は楽しそうに、生き生きと過ごしている。
彼らは自分となにが違うのだろう?
アドバイスをくれる人は、
自分の本当の姿を隠して、
いわば嘘をついてでも、
社会に合わせろという。
誰も本当の自分をわかってくれない。
今、ほとんどの男は、そのような孤独の中にいると思う。
リア充である男以外は、
みんなそこにいる。
彼らはヒーローになりたい。
世の中の理不尽や悪を糾し、
世界を良い方向に変えたい。
にも関わらず、
自分の力は誤解され、
不満を持ち続けたまま、満員電車に揺られている。
まるで牢獄だ。
俺たちは、幽閉された、力を恐れられたヒーローだ。
そう思っている人々に、
この映画はストレートに響くだろう。
すさまじいIQだが骨折し続ける男は、
傷つきやすい心の象徴だ。
鋼の肉体は、簡単な水が弱点だ。
ビーストは、弱い心を守るための城壁だ。
皆強烈な弱点があり、
それが長所と引き換えになっている。
この映画を見る男たちは、
彼らのような長所があるかどうかは分からない。
しかし、彼らと同様傷つき続けているはずである。
だから、自分にも眠っている力を、夢想する。
ラスト、
カメラのどんでん返しのために、
大阪タワーに行かなかったことが、
日の当たる場所に出る勇気のない、
リア充の前で縮こまる我々を象徴している気がした。
(もちろん、スパイダーマンみたいな予算がないこともあるけど。
ブルースウィリスといえば豪華ビルなのにねえ)
それでもネットという武器で知られていくことも、
我々を象徴しているような気がした。
我々は理解されたい。
それが、ヒーローの動機である。
もし、そのへんに、
そのような男たちがいたら、
彼らを理解するべきだ。
彼らは弱点をその理解で覆い、
長所を発揮することだろう。
多くの、誤解されているままの男は、
この映画でガス抜きをしておしまいだろう。
この映画を見た多くのヒーロー予備軍よ。
ヒーローにならなくていい。
ヒーローを目覚めさせる側になってもいいんだぜ。
ミスターガラスは、それを望んだ。
「それは精神疾患なのだ」
と言い続ける博士が、女なのがすごいよかった。
俺たちはああいうババアを、
本当に信用してないね。
我々は何者かに封じられている。
それは謎の組織の陰謀なのだ。
そう思うのは勝手だ。
しかし現実にはそんな組織はいない。
鎖を外すのは自分自身であるべきで、
あるいは、誰かの鎖を解き放つべきだ。
ヒーローはヒーローだけが理解できる。
それは、孤独な者は、孤独な者だけが理解できる、
ということと同じかもしれない。
2019年01月21日
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