2019年01月23日

エンタメとか純文学とか二分するのがバカだ

エンタメだからといって、
人間の奥深さや人生の変化の機微を描けないのは言い訳だ。
純文学だからといって、
奇抜なアイデアや受ける要素やお約束を盛り込めないのも、
言い訳だ。

エンタメだから、とか、
純文学だから、とかカテゴライズするやつは、
どっちも言い訳してるんだ。

勿論どっちかの要素が強いとか、得意とかはあるだろう。
人間の奥深い部分を、
お約束で表現する、
新しいものが、ほんとうに求められているものである。

それに「ミスター・ガラス」は相応しかった。
posted by おおおかとしひこ at 15:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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