2019年01月29日

「考え」が僕らの武器

アイデアと英語で言ってしまうと、
正体を見失う。
何がアイデアか、表現がもやもやしてしまう。

「考え」と日本語にしてみると、わかりやすくなる。
アイデアとは、日本語で簡潔に説明できる、
これまでなかった新しい考え方のことだ。


電球のアイデアはなにか。

「天井とりつける、スイッチ一つで明るくなるもの」
だと思う。

フィラメントとか、交流電流とか、蛍光灯とか、LEDとかは、
この際考えなくてよい。

電話のアイデアはなにか。

「遠く離れた場所と、音声をつなぐもの」
でよいと思う。

マイクとスピーカーからなる、とか、
伝送距離とか、
受話器とかダイヤルとか、ケータイとかスマホとか、
GPSとかインターネットとか、
説明しなくてもよい。


電球や電話がなかった頃を考えよう。
「そんなものが存在するのか」
と、なかった時代に、
そんなものがあるという考えが普及したら、
それが当たり前の世界になることを考えよう。

身近なもので、「考え」を表現してみよう。

車、冷蔵庫、台所、
ルンバ、扉、写真、服、音楽、文字、神。

それらがないときに、
それらが生まれたとして、
それはどのようなアイデアなのか、
その考え方を日本語で簡潔に説明しよう。


それと同様に、
あなたのストーリーを説明してみたまえ。

あなたのストーリーは、
そのように説明できるだろうか。

簡潔に説明されたとき、
それが存在する前は考えもしなかったもので、
それが説明されたら、
誰もがそれがあるといいと思うもの。

あなたのストーリーがそのようになっているとき、
そこにはアイデアがある、
ということができる。


たとえば「ロッキー」のアイデアは、
「何者にもなれなかった男が、一世一代の大舞台で自分を証明する」だ。

生卵もエイドリアーンでも階段でもない。
スケートリンクでも「俺には全盛期はなかった」でもない。
それらはディテールであり、根本のアイデアではない。
根本のアイデアを表現するひとつひとつの具体でしかない。


ロッキーという映画は、
仮にくすぶったとしても、
大舞台のチャンスを得たら、
自分が何者か証明できるかもしれない、
という「希望の考え方」を人々に与えた。

(もっとも、これ以前にも似た考え方はあっただろうが、
これほど強烈な、極端なものはなかっただろう)


アイデアのあるストーリーは、
シンプルで面白く、そしてキャラが立つ。

ないストーリーは、
平凡で、説明するのに時間がかかり、
説明されてもよく理解できず、
他のものと混ざってしまうだろう。

電球や電話のように、
考えを新しくするもの。

それと同様の発明をあなたがしたとき、
それはそのストーリーが名作である、
ということだ。

電球も電話も、神もストーリーも、
人間の発明である、
と考えると、
普段考えていることと、
別の次元から自分のストーリーを俯瞰できるだろう。


アイデアのないストーリーなんて、
ただの過去の劣化コピーでしかない。
それは、ゴミという。


(さらにアイデアだけでは絵に描いた餅で、
生卵やエイドリアーンや、
フィラメントや交流電流や、
スピーカーや受話器などのディテールも、
あなたが作らなければならない。
あなたの仕事は、まず餅を絵に描くことで、
さらにその餅を現実に存在するようにすることだ)
posted by おおおかとしひこ at 10:55| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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