アイデアと英語で言ってしまうと、
正体を見失う。
何がアイデアか、表現がもやもやしてしまう。
「考え」と日本語にしてみると、わかりやすくなる。
アイデアとは、日本語で簡潔に説明できる、
これまでなかった新しい考え方のことだ。
電球のアイデアはなにか。
「天井とりつける、スイッチ一つで明るくなるもの」
だと思う。
フィラメントとか、交流電流とか、蛍光灯とか、LEDとかは、
この際考えなくてよい。
電話のアイデアはなにか。
「遠く離れた場所と、音声をつなぐもの」
でよいと思う。
マイクとスピーカーからなる、とか、
伝送距離とか、
受話器とかダイヤルとか、ケータイとかスマホとか、
GPSとかインターネットとか、
説明しなくてもよい。
電球や電話がなかった頃を考えよう。
「そんなものが存在するのか」
と、なかった時代に、
そんなものがあるという考えが普及したら、
それが当たり前の世界になることを考えよう。
身近なもので、「考え」を表現してみよう。
車、冷蔵庫、台所、
ルンバ、扉、写真、服、音楽、文字、神。
それらがないときに、
それらが生まれたとして、
それはどのようなアイデアなのか、
その考え方を日本語で簡潔に説明しよう。
それと同様に、
あなたのストーリーを説明してみたまえ。
あなたのストーリーは、
そのように説明できるだろうか。
簡潔に説明されたとき、
それが存在する前は考えもしなかったもので、
それが説明されたら、
誰もがそれがあるといいと思うもの。
あなたのストーリーがそのようになっているとき、
そこにはアイデアがある、
ということができる。
たとえば「ロッキー」のアイデアは、
「何者にもなれなかった男が、一世一代の大舞台で自分を証明する」だ。
生卵もエイドリアーンでも階段でもない。
スケートリンクでも「俺には全盛期はなかった」でもない。
それらはディテールであり、根本のアイデアではない。
根本のアイデアを表現するひとつひとつの具体でしかない。
ロッキーという映画は、
仮にくすぶったとしても、
大舞台のチャンスを得たら、
自分が何者か証明できるかもしれない、
という「希望の考え方」を人々に与えた。
(もっとも、これ以前にも似た考え方はあっただろうが、
これほど強烈な、極端なものはなかっただろう)
アイデアのあるストーリーは、
シンプルで面白く、そしてキャラが立つ。
ないストーリーは、
平凡で、説明するのに時間がかかり、
説明されてもよく理解できず、
他のものと混ざってしまうだろう。
電球や電話のように、
考えを新しくするもの。
それと同様の発明をあなたがしたとき、
それはそのストーリーが名作である、
ということだ。
電球も電話も、神もストーリーも、
人間の発明である、
と考えると、
普段考えていることと、
別の次元から自分のストーリーを俯瞰できるだろう。
アイデアのないストーリーなんて、
ただの過去の劣化コピーでしかない。
それは、ゴミという。
(さらにアイデアだけでは絵に描いた餅で、
生卵やエイドリアーンや、
フィラメントや交流電流や、
スピーカーや受話器などのディテールも、
あなたが作らなければならない。
あなたの仕事は、まず餅を絵に描くことで、
さらにその餅を現実に存在するようにすることだ)
2019年01月29日
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