単独でこれを見たらなんやこれ、
で終わっていた映画かもしれない。
未見だったので、ようやく見れた。
「アンブレイカブル」と「ミスターガラス」を繋ぐ、
三部作の二部目、と捉えるならば、
これは物凄いストーリーだ。
以下ネタバレ。
この三部作で語られるのは、
「人より劣った者が、
人より優れた者として逆転する可能性」についてだ。
今の日本語で言うならば、拗らせ系だ。
人より劣った環境に生まれ落ち、
人より劣ったルックスや能力しかない者が、
自分の世界に閉じこもり、
その劣勢が逆転に信じることで、
自我を保っている人たちのことである。
涙無くしては語れない。
インキャのストーリー、と鼻で笑うには、
あまりにも身に迫る。
それは私たちは、
必ずこのような思いをしたことがあるからだ。
ミスターペンギン、ジョーカーに匹敵する、
恐るべきヴィランをシャマランは産んだ。
そして、
彼らは「ミスターガラス」において、
全員死んだ。
彼らは劣った人生を逆転したのだろうか?
三部作のラストは、
それが配信されることで、
次なる者へとバトンが渡された。
劣った者がいいたいことは、
たったひとつ。
We exist.
人並みに存在したい。
ただそれだけなのかもしれない。
ビーストは檻の中にいて、
結局檻を破ることは出来なかった。
人にはどんな可能性があるというのだろう。
お前らはがんばれ、
可能性を見せてみろ、
シャマランにそう言われた気がする。
私たちは毎日、
誰かから劣った者呼ばわりされて生きている。
ヒーローもヴィランも、
そこからしか生まれない。
superについて描くことは、
inferについて描くことである。
物凄い傑作だった。
未見の人には、三部作ごと勧める。
Xメン(1のみ)、
スパイダーマン(3を除く)、
キックアスに続く、
「スーパーヒーローとは何か」を追求した傑作だ。
2019年01月29日
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