2019年01月29日

こじらせた者の行方(「スプリット」評)

単独でこれを見たらなんやこれ、
で終わっていた映画かもしれない。
未見だったので、ようやく見れた。

「アンブレイカブル」と「ミスターガラス」を繋ぐ、
三部作の二部目、と捉えるならば、
これは物凄いストーリーだ。


以下ネタバレ。


この三部作で語られるのは、
「人より劣った者が、
人より優れた者として逆転する可能性」についてだ。

今の日本語で言うならば、拗らせ系だ。

人より劣った環境に生まれ落ち、
人より劣ったルックスや能力しかない者が、
自分の世界に閉じこもり、
その劣勢が逆転に信じることで、
自我を保っている人たちのことである。

涙無くしては語れない。

インキャのストーリー、と鼻で笑うには、
あまりにも身に迫る。

それは私たちは、
必ずこのような思いをしたことがあるからだ。


ミスターペンギン、ジョーカーに匹敵する、
恐るべきヴィランをシャマランは産んだ。

そして、
彼らは「ミスターガラス」において、
全員死んだ。


彼らは劣った人生を逆転したのだろうか?
三部作のラストは、
それが配信されることで、
次なる者へとバトンが渡された。

劣った者がいいたいことは、
たったひとつ。

We exist.

人並みに存在したい。
ただそれだけなのかもしれない。


ビーストは檻の中にいて、
結局檻を破ることは出来なかった。

人にはどんな可能性があるというのだろう。

お前らはがんばれ、
可能性を見せてみろ、
シャマランにそう言われた気がする。



私たちは毎日、
誰かから劣った者呼ばわりされて生きている。
ヒーローもヴィランも、
そこからしか生まれない。

superについて描くことは、
inferについて描くことである。


物凄い傑作だった。
未見の人には、三部作ごと勧める。

Xメン(1のみ)、
スパイダーマン(3を除く)、
キックアスに続く、
「スーパーヒーローとは何か」を追求した傑作だ。
posted by おおおかとしひこ at 14:27| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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