僕はそれが、ずっと無能だと思っている。
その物語のストーリー(面白げなシチュエーション、
面白げな構造、テーマ、キャラクターの魅力)を、
バランスよく、しかも印象的な一枚絵に収めることが、
ただしい宣伝ポスターだと思っている。
簡単にいうと、その物語のイコンをつくることがそうであると。
しかるに、以下のものはなんなんだ。
笑うしかない。
山手線内で見かけた、
フジテレビのキムタク祭り、キムタク主演ドラマ一覧。
全部が、
「こっち見てせいぞろいしている」
で、笑ってしまった。
立って並んでいるか、座っているか、走ってるか、
すましているか、笑っているか、変顔か。
その程度の差しかない、これでは記念写真ではないか。
この一覧から、ストーリーを想像できるのだとしたらエスパーしかいない。
あるいは、「キムタクが活躍して、他の人が出る」ことだけだろう。
だからキムタクは同じ芝居しかできないおじさんになってしまったのだ。
だって全部同じ話で同じ芝居なんでしょ?
これだけならベられると、その無能ぶりが圧巻というものだ。
キムタクはキムタクというジャンルをつくって、役者としては死んだのだろう。
さて。
こうしてしまったのは、
脚本と、その大元である企画の責任だ。
あるいは、それをどう違うものにするか、
仮に物語として立っているものを作ったとしても、
宣伝部で台無しにされた、ということである。
脚本が悪いかどうかは、
いずれも見ていないので判断できない。
しかし、宣伝ビジュアルに関しては、
最低の仕事であることに変わりはない。
ついでに、
斎藤工が、某邦画の宣伝ポスターをブロッコリーのようだと表現して、
物議を醸している。
たしかに最低のセンスと構成力で、
キムタクドラマと大差ない。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/52063842.html
映画は、物語の構造とテーマと、印象的なビジュアルが、
混ざり合わさった第七芸術である。
それらをワンビジュアルに落とし込めていないのは、
作品か、ポスターデザイナーが無能かのどちらかだ。
映画がクソならどうでもよいが、
映画がよいのにポスターがクソだとほんとうに腹が立つ。
たとえば傑作「ダンガル」のポスターは最低クラスで、
これもブロッコリーレベルでしかない。
デザイナーは死ねばいい。
しかも、本編がクソでもポスターが名画レベルならば、
パッケージ詐欺として商売になるだろうに。
宣伝部は一体なにをやっているんだろうか?
無能ばかりの集団なのだろうか?
入社して闇を暴いてやろうかな。
2019年02月02日
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