2019年02月02日

焦点の誘導と感情移入

難しいのは、感情移入と、焦点の誘導を、
同時にしなければならないことだ。


物語の序盤は難しい。
興味のある事件を起こし、
これがこの先どうなるだろう、
という興味を起こさなければならない。

いわゆるツカミで、
英語ではインサイトインシデントという。
「興味の湧く事件」などと訳されることもある。

その焦点を発生させたら、
それがどういうものなのか、
まだ全貌は見せないものの、
情報を小出しにしながら、
すこしずつ興味を深くしていくものだ。
焦点の誘導だ。
米をちょっとずつ蒔いて、鳥をおびき寄せるようなものである。

で、同時にしなければいけないことは、
それを体験している主人公への感情移入だ。

最初は、
「その奇妙な状況に巻き込まれた人」として、
ただの人としていればいいのだが、
そのうち、10分や15分もすると、
その人がどんな人なのか、
わかりたくなるのが人間というものだ。

部長がいる。それは分った。
そのうち、その部長がどんな人なのか、
わからないと、その先に進めないというか、
そういう感じ。
恋人がいる。それは分った。
取引先がいる。それは分った。
敵がいる。それは分った。
以下、同様だ。

その中でも主人公は特別で、
それらの登場人物の中で、
もっとも感情移入するべき人物である。

(もし他の人物に肩入れしてしまうなら、
その人物を主人公にするべきかもしれない。
その人物の魅力を下げるのではなく、
それ以上に主人公を魅力的にしていくのが、
ほんとうはやるべきことだ。
たとえば「幽遊白書」では、飛影と蔵馬のほうが、
幽助や桑原より魅力的になってしまい、
幽助が逆転することはなかった。
雷禅なんて要素をいれてもなお、
幽助の魅力は出なかった。
飛影と蔵馬のスピンオフなんてつくれば、
もう少し延命できたかもしれないね。
あ、それが同人誌か)


主人公に感情移入させるのは、
初手がベストだが、
物語の序盤では焦点の発生と、
それを追わせることをやらなければいけないため、
両者を同時に行うのは難しい。
しかも、ここがどういう世界なのか、
などの状況説明を上手にさばくことも要求される。

そのみっつを同時にやっても混乱するだけなので、
物語によって、
その優先順位は、
異なるということである。

第一ターニングポイントに至るまで、
主人公に感情移入できないものもあるかもしれない。
あるいは、ほんとうに感情移入して、
この人の成功するところを見てみたい、
と心から思うのは、
中盤の前半あたりかもしれない。
それくらい、感情移入というのは時間がかかる。
経験上、
「ひとつのこと」で感情移入は完全には起こらない。
人を好きになるときのことを思い出すとよいだろう。
興味は湧いても、一発で人を好きになることはそんなにはない。
何回も、いいところや悪い所をみながら、
徐々に好きになっていくと思われる。
ただいい所を羅列しても好きになるわけでもない。
駄目な所や欠点も見ながら、
総合的に好きになっていくものだ。

ということで、感情移入は、
なかなか時間がかかる。
インサイトインシデントと焦点の発生は、
ワンシーンあれば到達できるが、
感情移入は難しい。
一目ぼれはその例外だが、全ての人が一目ぼれするシーンをあなたが毎回書ければ問題ない。
(ガッキーが演じるとか、キャストに頼るのは失敗する。
それは多くの詰まらない、豪華出演陣のドラマなどをみれば明らかだろう。
キャストが悪いのではない。
脚本が悪いのだ)

と、いうことで、
感情移入を、あなたは計画的にやる。
最初に、
興味のあるシチュエーションからはじめて、
それに焦点を合わせつつ、
その真っただ中にいる主人公に対して、
感情移入の材料をひとつずつ蒔いていく。
それらが前半の折り返し点に達したときに、
好きになっているように、計算するべきだ。


「スプリット」の削除シーンの話にまたもどるが、
主人公の女子高生への感情移入のシーンが、
冒頭のパーティーのシーンで撮影されている。
目立たない椅子に座っているが、
ウェイターから「そこは邪魔だ」と言われ、
椅子を移動して、だんだん窓際に寄って行って、
結果孤立する場面だ。
なかなかいいと思ったが、弱いと思った。
これを挟むくらいなら、なくてもそんなに関係ないかもなあ、
と、完成したバージョンを見て思う。
完成版では、
「あの子までパーティーに呼ばなくても」
と女の子たちが噂して、窓際にひとりたたずむ主人公を眺めることになっている。

孤立した子と友達が父の車で送られることになり、
微妙な空気になったところで異変が起こる、
という冒頭のインサイトインシデントは秀逸で、
これを邪魔しない為に、
感情移入の部分を削除したのだなあ、
なんて思った。
しかし、その後、主人公の女子高生に感情移入するシーンがほとんどなく、
(冷静で子供人格を手なづける、という面白い部分はあるものの)
馬鹿な女子と賢い女子との対比しかなかったのは、
感情移入という面では不合格のような感覚だ。

もっとも、スプリットは、主人公への感情移入というより、
ジェームスマカヴォイのすごい芝居がメインの映画なので、
そこを切ったのは、総合的にはよい判断だと思われる。
しかし、そこを切るならば、
その後監禁された部屋で、
主人公に感情移入するような何かしらのエピソードがあったら、
もっとよかったなあと思われる。
あるいは、脚本時点で、もっといい感情移入のシーンを、
噂話やウェイターではなく、
ほんの2、3の会話で表現できる何かがあれば、
最高だったかもしれない。

理想をいうのは簡単だ。
しかし何が理想か分析することで、
次のあなたのシナリオが、
何を達成しなければならないかを、
自分に課すことが出来るのだ。
「あれは出来ていない、これは出来ている、
じゃあするべきことはあれだ」
と自己判断できるようになるには、
多くの反省をする必要があり、
すべての映画は、反省会をすることが出来る。


ということで、
物語の序盤は、
焦点を維持し、引き込みながら、
同時に感情移入の導火線を作っておかなければならない。
とても難しいが、やるべきことだ。
posted by おおおかとしひこ at 20:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。