群雄ものは面白い。
それぞれに立場があり、それぞれの人生に味わいがある。
しかし、こと映画については、
群雄ものはやめたほうがいいと思う。
群雄ものをやるには、
それだけ周囲をたっぷり描かないといけない。
長編漫画や長編小説では、
周りを描くことで延命する手法もあるくらいだ。
これらに比べて、映画は短距離走であることを、
意識しておいたほうがいい。
映画が短距離走だって?
48000字のシナリオが?
そうだ。
長編漫画、たとえば30巻や100巻の漫画にくらべて、
映画は短距離走だ。
せいぜい漫画1巻程度が映画と同等だと僕は思う。
30分ドラマ4本で映画は終わってしまう。
第一話と最終回をもってきたら、
間二話しか入らない。
(この困難さは、
ドラマ風魔を映画化するとしたら、と考えればわかる。
1話と13話いれたら、あと2話しか入らない。
絵里奈と出会うのは2話だし、
麗羅が死ぬのは11話。
告白は10話で、羽兄弟は5話で、霧風は6話で、柔道は7話。
壬生謀反が7、8話で、その帰結は12話。
全く4話じゃ収まらない)
つまり、
映画は、主人公に全てを集中するべきだ、
というのが結論だ。
もちろん、他のキャラクターがペラペラでは面白くない。
だから、ある程度他のキャラクターの人生も描くべきだ。
しかしながら、主人公と事件のセットアップに30分かけるわけだから、
その他のキャラクターはほとんど時間がかけられない、
ということがわかると思う。
群雄ものは、
色々な多彩なキャラクターが売りだ。
しかし、映画においては、
主人公だけが売りになることに注意せよ。
つまり、主人公のメインプロットひとつだけで、
他の多彩なサブプロットを全て凌駕するような、
面白いメインが必要だということを言っている。
群雄ものは、基本セット売りだ。
アイドルグループと同じように、
バラ売り単体ではキツイから、
セットにしている。
つまり、群雄ものの単体は、単体だとあんまり面白くない場合が多い。
だから、
群雄ものを映画でやると、
主人公がペラペラになって面白くなくなる。
この原理は、映画刀剣乱舞において顕著だった。
主人公三日月に、なんの感情移入するエピソードもなかった。
群雄ものから、等量減らしてセットにしてしまったため、
全キャラクターが薄っぺらくなってしまった。
映画刀剣乱舞は、
「なぜか黙ってた男が、
審神者が変わるまで真意を隠していた」
というストーリーが骨格になっている。
これを背骨とするには、あまりにも詰まらない。
(信長や秀吉が主人公か?否だろう。
三日月が主人公であるならば、三日月の人生がメインになるはずだ)
群雄ものを映画にするには、
つまりは主人公のメインプロットだけで、
映画になるレベルの物語が必要だ。
彼が刀として生まれ、刀剣男子として転生し、
その後活躍して、刀剣男子たちとチームを組むまで、
彼の人生は、審神者交代イベントより波乱万丈だろう。
そこをメインプロットにすべきではなかっただろうか?
ここさえしっかりと映画レベルの面白いプロットになっていれば、
他のキャラクターに多少なりともスポットを当てるだけの、
三日月主人公の映画になっていただろうと考える。
刀剣乱舞がどのようなスペックのものなのか、
見当がつかない状態で書いているが、
「映画」と名乗るならば、
それが必要だということだ。
同様のことが、三国志を映画にするときも起こるだろう。
劉備を主人公にした場合、
桃園の誓い、三顧の礼、赤壁の戦い、
ぐらいしかメインエピソードがなく、
たいていは赤壁をクライマックスとして作られ、
天下三分の計で「俺たちの戦いはこれからだ」エンドになることが多い。
逆にこれ以外の劉備主人公のパターンが乏しく、
三国志のその後をほとんどの人が知らないわけだ。
僕は人形劇三国志で入ったパターンだが、
やっぱり後半はよく覚えていない。
曹操を主人公にした蒼天航路もなかなか面白かったが、
やっぱり後半はよく覚えていない。
結局、魏が勝つんだっけ。
その後匈奴に滅ぼされるんだっけ。
よくわかってない。
群雄ものは、主人公がぼやける傾向にある。
ジャンプの主人公と同じだ。
だけど長くやって、各キャラクターを好きにならせて、
キャラクタービジネスを展開できることは、
群雄ものの利点だろう。
そもそも三国志演義は列伝形式であり、
「このエピソードとこのエピソードは繋がっています」
の元祖みたいなもんだ。
映画において群雄ものに挑戦しようとするのは、
そもそも映画が短編であるということを、
あまりにも理解していない愚行だ。
主人公にフォーカスして、
そのメインプロットだけでご飯が食べられるものにしよう。
まずその骨格が出来なければ、
映画シナリオとは言えない。
つまり三国志は映画になりづらい。
2019年02月04日
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