2019年02月04日

群雄もの

群雄ものは面白い。
それぞれに立場があり、それぞれの人生に味わいがある。

しかし、こと映画については、
群雄ものはやめたほうがいいと思う。


群雄ものをやるには、
それだけ周囲をたっぷり描かないといけない。
長編漫画や長編小説では、
周りを描くことで延命する手法もあるくらいだ。

これらに比べて、映画は短距離走であることを、
意識しておいたほうがいい。

映画が短距離走だって?
48000字のシナリオが?

そうだ。
長編漫画、たとえば30巻や100巻の漫画にくらべて、
映画は短距離走だ。

せいぜい漫画1巻程度が映画と同等だと僕は思う。
30分ドラマ4本で映画は終わってしまう。
第一話と最終回をもってきたら、
間二話しか入らない。
(この困難さは、
ドラマ風魔を映画化するとしたら、と考えればわかる。
1話と13話いれたら、あと2話しか入らない。
絵里奈と出会うのは2話だし、
麗羅が死ぬのは11話。
告白は10話で、羽兄弟は5話で、霧風は6話で、柔道は7話。
壬生謀反が7、8話で、その帰結は12話。
全く4話じゃ収まらない)

つまり、
映画は、主人公に全てを集中するべきだ、
というのが結論だ。

もちろん、他のキャラクターがペラペラでは面白くない。
だから、ある程度他のキャラクターの人生も描くべきだ。

しかしながら、主人公と事件のセットアップに30分かけるわけだから、
その他のキャラクターはほとんど時間がかけられない、
ということがわかると思う。


群雄ものは、
色々な多彩なキャラクターが売りだ。
しかし、映画においては、
主人公だけが売りになることに注意せよ。

つまり、主人公のメインプロットひとつだけで、
他の多彩なサブプロットを全て凌駕するような、
面白いメインが必要だということを言っている。

群雄ものは、基本セット売りだ。
アイドルグループと同じように、
バラ売り単体ではキツイから、
セットにしている。

つまり、群雄ものの単体は、単体だとあんまり面白くない場合が多い。

だから、
群雄ものを映画でやると、
主人公がペラペラになって面白くなくなる。


この原理は、映画刀剣乱舞において顕著だった。
主人公三日月に、なんの感情移入するエピソードもなかった。
群雄ものから、等量減らしてセットにしてしまったため、
全キャラクターが薄っぺらくなってしまった。

映画刀剣乱舞は、
「なぜか黙ってた男が、
審神者が変わるまで真意を隠していた」
というストーリーが骨格になっている。
これを背骨とするには、あまりにも詰まらない。
(信長や秀吉が主人公か?否だろう。
三日月が主人公であるならば、三日月の人生がメインになるはずだ)


群雄ものを映画にするには、
つまりは主人公のメインプロットだけで、
映画になるレベルの物語が必要だ。

彼が刀として生まれ、刀剣男子として転生し、
その後活躍して、刀剣男子たちとチームを組むまで、
彼の人生は、審神者交代イベントより波乱万丈だろう。
そこをメインプロットにすべきではなかっただろうか?

ここさえしっかりと映画レベルの面白いプロットになっていれば、
他のキャラクターに多少なりともスポットを当てるだけの、
三日月主人公の映画になっていただろうと考える。

刀剣乱舞がどのようなスペックのものなのか、
見当がつかない状態で書いているが、
「映画」と名乗るならば、
それが必要だということだ。


同様のことが、三国志を映画にするときも起こるだろう。

劉備を主人公にした場合、
桃園の誓い、三顧の礼、赤壁の戦い、
ぐらいしかメインエピソードがなく、
たいていは赤壁をクライマックスとして作られ、
天下三分の計で「俺たちの戦いはこれからだ」エンドになることが多い。

逆にこれ以外の劉備主人公のパターンが乏しく、
三国志のその後をほとんどの人が知らないわけだ。

僕は人形劇三国志で入ったパターンだが、
やっぱり後半はよく覚えていない。
曹操を主人公にした蒼天航路もなかなか面白かったが、
やっぱり後半はよく覚えていない。

結局、魏が勝つんだっけ。
その後匈奴に滅ぼされるんだっけ。
よくわかってない。

群雄ものは、主人公がぼやける傾向にある。
ジャンプの主人公と同じだ。

だけど長くやって、各キャラクターを好きにならせて、
キャラクタービジネスを展開できることは、
群雄ものの利点だろう。
そもそも三国志演義は列伝形式であり、
「このエピソードとこのエピソードは繋がっています」
の元祖みたいなもんだ。


映画において群雄ものに挑戦しようとするのは、
そもそも映画が短編であるということを、
あまりにも理解していない愚行だ。

主人公にフォーカスして、
そのメインプロットだけでご飯が食べられるものにしよう。
まずその骨格が出来なければ、
映画シナリオとは言えない。

つまり三国志は映画になりづらい。
posted by おおおかとしひこ at 13:29| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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