2019年02月10日

【キーボード】なぜ我々はここまでキーボードにこだわるのか

世の中の文房具屋の、筆記具を見よ。
鉛筆、ボールペン、マジック、シャーペン、万年筆。
一種類ではない。
各メーカーが書き味違いで、沢山沢山出している。
どれからでも選べるようになっている。

私たちは、書くときに、それほど手に合う道具を使う。


人間の手、とくに利き手というのは敏感で、
たとえば紙の薄さを手触りで見抜くことができる。
一枚では分からなくても、数枚重ねれば一発だ。
それはミクロン単位だ。
ミリでは大雑把すぎる。

ミクロン単位の、手触り、形、重さ、反発、
などを感じながら人は字を書く。

古今東西、それは同じだ。
自分に合っている筆記具を探すために、
人は文房具屋に通うし、
自分に合うブランドを見つけたら、
それを確保するために人は文房具屋に通う。

とりあえず今字をかけたらいいから、
と適当な筆記具を買って間にあわせることがある。
そのボールペンを、インクが切れるまで使うことはないだろう。

手に合わないものは、人は愛着をもたない。


僕は料理を頻繁にしないが、
料理人の包丁も似たようなものだろう。
世界最高のキーボードのひとつ、
ハッピーハッキングキーボードの作者は、
カウボーイの馬の鞍にたとえた。
残念ながらその鞍は僕には最高に合うものではなかったが。


JIS規格というものがある。
これは工業製品に適用されるもので、
同じ規格でつくったほうが、
大量生産できるからである。
キーボードも工業製品だったから、
JIS規格によってつくられている。
変換無変換キー、デカイエンターキー、109フルキーボード、
19ミリピッチ、おそらく押下圧も。

これらは、PCという工業製品の普及には役に立っただろう。
車のハンドルが大体同じ形をしていて、
アクセルが右足ブレーキが左足と定められているように、
どのキーボードも同じ形をしていることは、
工業製品としては大事なことだ。

だが、文房具は工業製品だろうか?

キーボードは工業によってつくられる。
しかしその使用目的は、文房具である。

文房具にJISがあるかどうかは知らない。
小学校で習う時の鉛筆にはありそうだ。

しかし我々はもはや自分に合う文房具というものを、
知ってしまっている。
画一的な鉛筆には戻る気がしないだろう。
それは強制である。
字を書くことは、その強制から逃れ、
自らの自由を希求する行為である。

しかるにキーボードは、
いまだに工業製品の強制をしてくる。

自由に文章を書こうとする者が、
なぜこの鎖に縛られなくてはならないのか?


なぜ効率の悪いqwerty配列なのか?
なぜJIS規格配列なのか?
なぜ19ミリピッチなのか?
なぜ左右分割しないのか?
なぜ55gなどというクソ重い押下圧なのか?
なぜ使いたいキーを近くに持ってこれないのか?

これは今の日本が柔軟性を失い、
硬直しているからに他ならない。

私は個人である。
日本とともに運命をともにする理由はない。
愛国心はあるが、
この馬鹿馬鹿しい強制には反対だ。


だから私はキーボードを自由にしたい。

僕の自由とあなたの自由は違う可能性がある。
あなたの文房具は僕の文房具に合わないかもしれない。
手も頭もセンスも、書く内容も違うのだ。
全部違っていいし、そこに優劣はない。


キーボードは文房具である。
工業製品ではない。
文房具屋にならぶ、数多の筆記用具のように、
キーボードはなるべきだ。

そして、その棚にないなら、
自分でつくるしかないのだ。


僕はqwertyローマ字の効率の悪さを悲しみ、
自作配列をふたつつくった。
これでかつては考えられなかった効率になっている。
同時にキーの押下圧にも詳しくなり、
キーの押し方も研究し、
キーの物理的並び方や高さの差、
手首の置き方や腕の置き方についても考えている。

すべては、自分の思う文を書くためである。

文は心だ。

私は、私の心を、最も自由に形にしたい。
そのための不要な強制を、
すべて拒否したい。

つまりキーボードを追求する行為は、
自由を希求する行為である。


Capslockはいらない。Numlockもテンキーもいらない。
ファンクション段も数字段もレイヤー対応レベルでいい。
記号の配置はもっと整理したい。
qwertyはいらないが、英語入力用に置いときたい。
(僕は日本語メインなので、英語用の配列を練習する意味がない)
英数かなの切り替えは、スペースキーの左右にあるMac方式がいい。
トグル?あほか。
親指エンターやコントロールは便利だが、
それすらホームキーでコントロールしたほうが便利(薙刀式の編集モード)。

そして、キー押下圧は軽いほどいい。
45gは重い。35か30も重くなってきた。
いまは20を目標にしている。

キーピッチは17ミリが理想。


人はなぜキーボードをつくろうとするのか。
強制の鎖を断ち切り、
自由になるためだ。

配列変更やキーボード沼を経て、
今自作ブームが来ているのは、
強制を拒否し、
自由を求める人が増えている証拠である。

なんのことはない。
キーボードが文房具屋にないから、
わたしたちはキーボードの文房具屋をつくっているのだ。

かつてはつくれなかったが、今はつくれる同志が横に繋がってきた。


PCはパーソナルコンピュータのことだった。
わたくしごとであった。
カスタマイズが前提だった。

なぜかマルチユーザや共用やクラウドになって、
おおやけのことになってしまった。
カスタマイズ禁止だ。
配列も変えられないし、キーボードもJISだ。

おかしなことだ。



僕は僕の、パーソナルな文房具がほしい。
posted by おおおかとしひこ at 13:02| Comment(2) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
じつは万年筆にもこだわりがあります。
マニアといつてもいいかもしれません。
手帳でもノート、取材でも、手書きはすべて万年筆を使ってます。
これは大岡さんがおっしゃるように、キーボードへのこだわりとまったく同じものです。
こちらでも、ペン先は柔らかいSがすきです。手帳はここ数年、ほぼ日手帳です。
Posted by ヒグチマサヒロ at 2019年02月10日 22:13
ヒグチマサヒロさんコメントありがとうございます。

僕は大学生のときに今でもそれしか使わないボールペン
(ぺんてるの中性青)に出会ったので、
万年筆沼に行かずに済みましたね。
今でも手書き原稿を書くときは指定の紙しか使わないし、
それはいつもカバンに入っています。

ワープロ以前の小説家は、万年筆に合う原稿用紙を指定していたようです。
滑りとか引っかかりが違うらしい。
そのこだわりがキーボードに継がれていないから、
不満因子が溜まっていると思われます。

書くという行為は、脳だけでなく身体運動も含むと考えます。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年02月10日 22:25
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