どんでん返しは強烈な印象を残すから、
人気の手である。
しかしただどんでん返しをしただけでは、
ただの脅かしに過ぎず、
次第に飽きられてしまう。
そのどんでん返しは、何を語るためにあったのか?
を考えるとよい。
ほとんどの場合、
それはテーマを暗示するために使われる。
最も強力な技は、
最も最後に関係した方が合理的だ。
(小さなどんでん返し、たとえば見た目と内面のギャップ、
などは、逆に恋のはじまり、
すなわち入り口に使われたりする)
ここでは、テーマに関係する、
後半に来る大どんでん返しを考えよう。
よくある世界系のどんでん返しは、
「この世界は偽物で、それは人々に隠されているだけだった。
ほんとうの世界は、○○だったのだ!」
というやつだ。
たいていはそうなるとバッドエンドになる。
人の醜さや愚かさを、
シュガーコーティングしていたことの暴露になる場合が多いからだ。
もっと牧歌的な時代だったら、
人の悪意や闇を暴くだけで、
ショックを受けるようなものを作れたろう。
しかし現代はそのような悪意はネットをはじめ、
色々なところに晒されて、
特に悪意にショックを受けることもない。
だから、
「この世界は悪だったんだよ!」
というどんでん返しをしたとしても、
現代では「だから?」と言われるのがオチだろう。
知ってるわそんなこと、
という世界になってしまったように思う。
ということは、
もっと工夫したどんでん返しが必要だ、
ということだ。
どんでん返しはショックを受けることが大事だ。
そして、ただどんでん返すだけではなく、
これまでのあれもこれもそれも、
すべてそうだったのか!
とならなければダメだ。
「世界は実は酷かった」というよくあるどんでん返しの逆に、
フィンチャーの「Game」がある。
詳しく書けないのがあれだが、
こういうどんでん返しもある、
そしてそれがテーマである、
という手法は味わっておくべきマスト作品だ。
じゃあどんなどんでん返しがテーマになり得るのか?
あることが当然だと思っていたことが、
そうでなかったと判明すること。
これには、
最初に思っていたことAがテーマの逆やイントロになり、
あとで判明したことBがテーマになるはずだ。
あるいは、隠していた人と隠されていた人の関係性、
隠していた理由も要素になるだろうね。
この構造ありきでどんでん返しをつくり、
その構造ありきでドラマ、
すなわち面白そうな問題と見事な解決をつくり、
内的問題の克服などを描ければ、
どんでん返しでテーマに落とせるものが作れる。
もちろんレシピがわかったからといって、
容易に作れるものではないことが想像できるだろう。
それで名作なのは、
たとえば「猿の惑星」のような古典などになるかもね。
どんでん返しは難しい。
ただどんでん返すだけでなく、
それをテーマに落とし込むという、
物語作りの基本ができていなければならないからだ。
それがテーマに落ちていない限り、
安易などんでん返しと揶揄されておしまいだろう。
2019年02月11日
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