若手CM監督が作ったオムニバス演劇を見てきた。
ストーリーを作るときにありがちな、
滑っている部分を指摘するので、
他山の石とされたい。
メアリースー的な部分。
ダメな主人公が身内に追い込まれて、
ある日突然不思議な出来事に出会う。
えっ、なんすかそれ!などと言った、
リアリティ溢れるリアクションをするも、
その不思議な出来事に巻き込まれて、
半ば強引に不可思議な世界へ入り込む。
:ダメな自分を認めて欲しいという承認欲求。
または、そんな自分が、奇跡が起これば変われるのに、
という願望の事件導入。
そして大抵は強引に連れていかれて、
自らが自らの問題として解決に乗り出さない。
それはその強引な導き手の問題でもあり、
主人公の抱える問題を解決する糸口にもなる、
と主人公自らが理解して、
主人公が能動的に問題解決に、
最大の動機をもって積極的に行動しなければならないが、
それが出来ていない。
だから、受け身のぐずぐずした主人公が振り回されているだけになり、
こいつ愚図だなあ、と退屈がはじまる。
これはメアリースーの典型的特徴で、
「行動する勇気のない自分が、
誰かに強引に変身させて欲しい」
という自らのほとんど無意識の願望を主人公に重ねてしまうためである。
そのため、主人公は作者と同一になってしまうため、
「なるべく行動せずに幸せになりたい」
という受け身の愚図になってしまう。
観客はうっとおしいなこいつ、と思っているのに、
作者だけが「自分だけ幸せにしてもらっている」
と自己満足する。
異化効果を出落ちに使っている。
たとえば以下のようなディテールがあった。
・現実の文脈に突然スイッチが出てきて、
それを押すと過去回想の芝居がはじまる。
・演劇なのにスライド上映や、
パネルに写真が貼ってあるのを示す黒子が出てくる。
・ホームレスの家から突然4人の天使が出てくる。
これらは、
「普通じゃないことを起こして、
現実を異質なものにする」という役割がある。
難しい言葉で異化効果、
簡単な言葉で言うとシュール(レアリズム)だ。
しかし異化効果の目的は、
ただ変なことを起こすことが目的ではない。
現実と異なるヘンテコ世界に行くことで、
現実世界を逆から見ることになり、
逆に「現実のヘンテコさ」を表現するためにある。
たとえば、
「男女逆転社会」がわかりやすいか。
飯の後女が男に全額奢る社会だとしよう。
「それは変だな」と私たちが思う時、
現実における「男ばかりが女に奢る」ことが変なのだ、
と気づく仕組みになっているわけだ。
分かりやすく顔が醜い男が出てきてみんなが忌み嫌う世界は、
現実社会で、ブサイクが不利益を被る事が変であることを、
表現しているわけである。
つまり、
シュールの目的はブラックな批評である。
わかりやすく平易なカタカナ語で言ったが、
これら全てを称して異化効果という。
現実を異化することで、逆に現実を見る、
などと解説されることがある。
で、
単に表現的に面白いぞ、と思ったらそれをブッ込んでしまい、
それが見た目のシュールになってしまうだけで、
本当のシュールレアリズム、
すなわち現実の批評になってない限り、
異化効果とは言えない。
回想開始ボタンはただ面白い小道具であって、
それがテーマや批評になっていなかった。
スライドショーや黒子も、ビジュアルが面白いだけで、
それが、以下同。
天使も、以下同。
異化効果は面白い。
面白いがゆえに、出落ちになりがちだ。
で、あれは結局なんやったん?
てなってしまう。
あれはああいうことだったのか、
とテーマに関係して落ちて、
はじめて異化効果だ。
誰かが実は死んでたどんでん返し。
これもよくやる。
ストーリーの行く先に困って、
どんでん返しでケリをつけようとして、
登場人物の誰かが、実は死んでたんですよで驚かせようとするパターン。
これが巧妙に練られたどんでん返しなら面白いが、
小手先のどんでん返しゆえに、
で、それがストーリーとどう関係するの?
がなくなってしまう。
が、作者は実は死んでたんですよ落ちが気に入ってしまい、
観客のシラケとの温度差が開いて行く。
そのどんでん返しはテーマに落ちるべきだ、
という記事を書いた直後に観劇したので、
苦笑いしてしまった。
リライトをしていない。
よくあることだけれど、
冴えない主人公が、ある日ヘンテコな人に出会い、
騒動に巻き込まれる
→色々な騒動があったり、過去の事実がわかったりする
→困って困ってみんなで叫んで大爆発
→どんでん返し
みたいに、
頭から書いていって、
作者が次第に困って、
わちゃわちゃとテンポアップして誤魔化して、
どんでん返しでちゃぶ台をひっくり返して、
今までのことは実はなかったんです!
驚いたでしょ!
と、誤魔化すことがよくある。
これは、冷静になってリライトする頭になれば、
まったく構成がなっていないものだときづくはずだ。
センタークエスチョンが明示されていない。
主人公が自ら行動しようとしていない。
主人公に解決のための強い動機がない。
主人公はリスクを冒さない。
主人公は怪我をしない。
主人公は立ち直らない。
主人公が何もせず、話を進めるのは周囲。
主人公が問題を解決し、
その解決の仕方がテーマ。
の形式を、なにひとつ守っていない。
おそらく、
リライトするのは怖いのだ。
だってこの形式にしようと思ったら、
ほぼトップシーン以後全部書き直しだからだ。
色々思いついたアイデアを全部捨てて、
落ちの前振りとしてのオープニングにする、
勇気がないからだ。
薄々は、そうしないと良くならないことには気づいても、
もう苦労して書いた何十枚を燃やす覚悟がないから、
「バレやしないさ」と強弁して、
誤魔化し続けることになる。
だって周囲は面白いっていってくれるし、
となんとかして不安を塗り潰そうとする。
真実の心の声を黙らせようとする。
そうして、一文字も直さず、
敗北の道へ突き進む。
リライトするためには俯瞰しなければならない。
自分の書いたものはまるで詰まらない、
ディテールのちょこちょこは面白いが、
ストーリー全体としてはまるで面白くないということを、
認めないかぎり、
これ以上前には進めないだろう。
異化効果は、細かい台詞回しにもよくある。
シュールは目立つからね。
そのシュールに、最終的にはこういう意味があったんだ、
と全てが伏線になっているとかっこいい。
ただ無意味なシュールを並べて楽しいと思うのは、
高校生までに終わらせておけ。
プロでやるべきことではない。
プロットを書けば、
このような、頭から書いて息切れしながら最後まで書いて、
まるでダメだったことのリスクを回避できる。
で、テーマに落ちてるか?
その落ちはオープニングでちゃんと前振っているか?
センタークエスチョンは?
主人公の動機は?
他の人の動機は?
などなどをチェックできるだろう。
プロットを書いたら、自分の考えたストーリーがスカスカなのがばれてしまうから、
プロットを書かずに最初から書いてしまう。
スカスカなのを確認するために、プロットを書く勇気を持ちなさい。
そして、
スカスカなのをミチミチにするまで、
うんうん唸って考えて、
面白いものにしなさい。
メアリースーと遊んでる場合ではない。
2019年02月12日
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