大体の場合、アイデアが次から次へ湧いてくるからだ。
そして、そのアイデアは大抵雑多なカオスであり、
その混沌にストーリーが飲み込まれないようにするためだ。
あなたが何かを作りたいと思う人ならば、
キャラクターやシチュエーションや、
興味のあるモチーフや、なにかのネタや、
事件や解決や、ラストシーンのアイデアや、
あるシーンのアイデアなどが、あるはずだ。
それは、まず全てアイデアノートに書き留めなさい。
デジタルは勧めない。
アナログノートがいい。
なぜなら、アイデアというのは雑多な形をしているので、
その雑多な形のまま表現できるのは、
アナログがふさわしいからだ。
形になったアイデアを形式的に示したり、
検索したり並び変えるのはデジタルは有効だが、
それ以前のカオスなアイデアを記録するのは、
アナログが適している。
(自分に最適な筆記具、たとえばボールペンや鉛筆や万年筆を、
常に持ち歩こう。筆記具が体の一部になるまでだ)
一日で書くのではない。
何日も何ヶ月も何年もかけて、
アイデアノートのページは増えていく。
なにかのネタを見つけたら切り抜きを貼ってもいい。
デジタルで見つけたら
(たとえばニュースなどは消えてしまうから)、
意地でも手書きの字で書いておきたまえ。
それはいつか役に立つ。10年後でもだ。
デジタルスクラップは10年経ったら発見不能になる。
アナログノートなら、いつか再会しやすい。
他のページに書いたものが誘導してくれる。
で、アイデア(らしきもの)を溜めれば溜めるほど、
それがあまりに雑多なものであり、
整理されていないということにあなたは気づくだろう。
それはそうだ。
あなたの日々の関心の記録に過ぎず、
それらは常にバラバラだ。
あなたのアンテナが広範囲に及べば及ぶほどだ。
これらは鍋に煮込まれる前の材料だと思うと良い。
部品のガレージルームだと思っても良い。
あなたはただ材料を集めているだけで、
仕込みすら始めていない。
ここはただの倉庫である。
さて、あなたはある日、
あるストーリーを書き始める。
そうすると不思議なことに、
今まで思っていなかったアイデアが、
湯水のように湧いてくることがある。
そしてここが一番大事な点なのだが、
そのアイデアは、アイデアノートと同様に、
整理されていないカオスの形で出てくるということだ。
あの場面はこうしようとか、
こういうセリフはいいとか、
あれはああではなくこうだったということにしよう、
などなど、
バラバラな部分のバラバラなアイデアが、
毎日出てくる。
俺はなんとアイデアマンなのだと自惚れてもよい。
しかし、アイデアが全く出ない日も経験するだろう。
アイデアは雑多だ。
出たり出なかったりすることは、
アイデアノートを作ったことがあるならわかるだろう。
「一日一アイデア」なんて絶対できない。
アイデアは、存在確率も雑多である。
努力すれば出るものでもない。
アイデアは天の恵みのような、石油のようなものだ。
枯渇するかどうか、次出るかどうか、
本人にも分からない。
とりあえず出た水は全部汲み置きせよ。
それがアイデアノートだ。
水と違って腐ることはない。
さて。
執筆中ですら、アイデアはバンバンやってくる。
これを取り入れたいのはやまやまだが、
アイデアは雑多であったことを思い出しなさい。
アイデアは、いわば多重人格である。
あなたの日々の気分が変わる中で得られたものだから、
統一性がない。
あなたはあなたの人格で連続性はあるが、
点だけで取り出すとまるで別人の時があるはずだ。
だから点の集合は、様々なものの集合体にすぎず、
統一性、斉一性がない。
(それがないのがアイデアのいいところだ。
アイデアはランダム性を持つ)
で、そのカオスなアイデアを全て取り入れると、
ストーリーはカオスに進んでいく。
だってランダムなんですもの。
簡単に目的地を失う。
そう。
プロットとは、
ストーリーが在るべき形の目的地のことであり、
ランダムに湧いてくるアイデアを、
却下するためにあるのだ。
しっかりしたプロットがあると、
湧いてきたナイスアイデアたちを、ふるいにかけられる。
「これはこのストーリーを混乱させるだけだ」
などのように。
そのアイデアがプロットをよりよくしてしまう場合もある。
だとしたら、執筆を中断して、
プロット段階に戻ること。
都合二つのプロットが出来る。
どっちがいいか選んで、それを一から書き直したほうがよい。
執筆とは、文字を足していく作業でもあるが、
不要なものを捨てていく作業でもある。
足すことと削ることを繰り返して、
木の中の仏像に辿り着かなければならない。
多くの場合、
湧いてくるアイデアに任せてカオスに発散すると、
全く前に進まなくなってしまう。
だから、一度プロットを決めたら、
最後まで変えないのがよいのだ。
たとえ思いついたアイデアのほうが良さげに見えても、
今がしょぼいプロットに見えたとしても、
完成しないよりはましだと思いなさい。
つまり、雑多なアイデアは、
神から降りたひらめきではなく、
悪魔の誘惑に他ならない。
「もっと良くなるかもよ」というその誘惑に負けて、
あなたはストーリーが未完成という、
身の破滅を迎えるのだ。
勿論、小さなレベルでのアイデア、
セリフのアイデアや場面のアイデア、
ガワのアイデアはストーリーを豊かにするので歓迎だ。
だから、採用するアイデアはたくさんあるかもしれない。
その採用、非採用の基準が、
「プロットに相応しいかどうか」だけだ、
と基準を設けるのだ。
そのためにプロットがあるのだ。
プロットとは英語で「計画」の意味だ。
あなたは計画通りにものごとを進めること。
途中で計画を変更してはいけない。
アイデアは雑多な多重人格だ。
計画とは、ひとりの人格で最初から最後まで通された、
ひとつの筋である。
そしてストーリーとは筋の通ったもののことを言う。
筋を優先するために、
アイデアを取捨選択しなさい。
プロットは何のためにあるのか?
湧いてくるカオスの誘惑に負けずに、
最後まで筋を通すためにある。
だから、計画はしっかり立てておかないといけない。
悪魔の誘惑に勝てるのは、計画への確信だけだ。
2019年02月13日
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