2019年02月18日

姿勢はどうなっているか

そのシーンにおいて、
各登場人物の姿勢を、意識したことはある?


よくあるのは、二人が会話しているシーンで、
ただ突っ立っているだけ、
というものだ。
会話の内容に注力しすぎて、
それがどういわれるのが自然なのか、
リアリティを追及できていないときにそれは起こる。

そもそも姿勢のことなんて全然考えていないとしたら、
あなたは人間の観察力が足りない。


リラックスして座っているときと、
直立不動でいるときに、
考えることや喋ることが同じはずがない。
同様に、
正座と胡坐で、
寝っ転がっているときと立っているときで、
肘をついて机に突っ伏しているときと、腕を組んでいるときは、
違うことを考えたり言ったりするはずだ。

人間関係を考えるとさらに分り易い。
正面に座っているときと横に座っているときで、
人は距離感が変わるから、
言うことや考えることに影響が出るだろう。
判断も違ってくる。
口説くときは横に座れなんてよく言うよね。

目を合わせているときと、合わせていないときで、
やはり考えていることや言葉は変わってくるはずだ。
寝っ転がっているときだって、
仰向けなのか肘をついて横にむいているときなのか、
うつ伏せになっているときなのか、
それによって、緊張感やリラックス感は、
全然違ってくるはずだ。

シナリオに書くべきもの、
つまりセリフや行動は絶対に必要だが、
それは姿勢や体勢で本来大きく変わってくるのだ。

だからといって、
「ここでこういう体勢を取りながら」
なんて書くのはナンセンスだ。
そんな指示をしなくても、
自然にそういう姿勢をとって演じたくなるような、
気持のうごきや距離感を、
シナリオに暗示するべきなのである。

かしこまった言い方なら、
正座しながらや正面で目を見ながらになるだろうし、
くだけた言い方なら、肩を組んでいうかもしれない。
もちろん逆目もあって、
目を合わさずに辞令を形式的に言う場合もあるし、
肩を組んでいながら恐ろしいことをいう場合もある。

すべては文脈と、言い方や距離感だ。
それをつくるのがシナリオである、
ということは肝に銘じておくべきだ。

初心者は、
だいたいにおいて、
棒立ちで正面にむいて話す場面しか描けない。
ためしにコンテかいてみ。
絵は下手でもいい。
ABの会話は、
立っていて、切り返しているだけになっていないか?

わざわざ「リラックスしながら座って」
などをシナリオでは書かない。

じゃあどうするかというと、
A、絵を描いている。
などのように、
「別のことをさせる」というテクニックがある。

とくに絵を描くのは目的ではなく、
絵を描いている姿勢を取らせることが目的だ。
おそらく座っていて、目線は絵を見ているだろうから、
棒立ちでは言わないような、
直接目を合わせてはいわないような、
本音の言葉が出てくるはずだ。

絵を描く以外にも、
ピアノを弾く、掃除している、
車いじりをしている、
動物の世話をしながら、
煙草を吸いながら、酒を飲みながら、
書類をめくりながら、
などなどの、
日常でよくする姿勢を取らせることで、
目的の文脈をつくることが出来るわけだ。

そのことに注意して、
映画を見るとよい。
ただ棒立ちで切り返してセリフを言っているような場面は、
ほとんどない事に気づくはずだ。

これは演劇の演出法がベースになっている、
ハリウッドやイギリスの映画に顕著だ。

日本の演出家はそういう基礎がないから、
棒立ちで喋っているだけの場面をやりがちだから、
あまりお手本にしないほうがいい。
(とはいえ、むかしの、たとえば黒澤は、
そういうことをきちんと演出している)


なぜここで棒立ちになっていないか。
棒立ちでは言わない芝居をさせるためだ。
そのために、棒立ちにしていない、
何をさせているのか。

そのことを注意しながら、
自分ならついつい棒立ちで喋るだけの場面にしてしまうだろうことへの、
プロの工夫を読み取るといいだろう。
posted by おおおかとしひこ at 13:59| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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