ネットには時々賢者がいる。
恐ろしいほどの本音を端的に表現した考察。
物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いかもしれない
https://www.jigowatt121.com/entry/2019/02/17/233313
僕は常々、物語とは変化であり状態ではない、
と解説してきた。
この記事における「トンネル」は僕のいう変化であり、
この記事における「胃が痛いか/痛くないか」は、
僕のいう状態のことだ。
たとえば女性にホラーが苦手な人が多い。
血や内臓や、悪意が飛び散る状態が多いからだ。
しかしそのトンネルを抜けた先にあるものを、
ホラーが苦手ではない人は、
楽しみにしているから見るのだ。
これはさらに根源的なところに至る。
世の中には酷いことがあると考えるか、
そこから目を背けたいか、
という人生観の違いだ。
前者は、酷いことや不幸は常にふりかかると考える。
その時そこからの切り抜け方を考える。
なるほどこう切り抜けるのかと参考にすることもあるし、
自分の切り抜け方のほうがいいぜというときもたまにある。
つまり、物語のトンネルを見るとき、
「一緒に切り抜けるシミュレーション」として、
トンネルを楽しむ。
だから、自分の身に近い不幸は逆にリアリティがありすぎて、
切り抜け方がわからないから、
全然違う不幸がいい。
全く違う不幸の切り抜け方なら、安心してそこに没入できる。
へんなリアリティを思い出さずに済む。
(さらにマゾは、自分の身に近い不幸の切り抜け方を好むかも)
ホラーが大丈夫な人は、
血や内臓や悪意が飛び散ることは、
「自分と関係ない不幸」だと仮定して見ている。
後者は、人生の酷いことからなるべく逃げるために、
架空世界の砂糖菓子を食べる。
砂糖の時間は長いほどいい。
さて、
また男女差別をしようか。
偏見で決めつけないとズバリとした議論が出来ないからで、
常に例外があることをあとで復元してくれ。
統計上の男女の話だ。
女は共感力が強く、男は共感力が弱い。
男は問題解決が好きで、女はそうではない。
有名な「ヘッドライトがつかないの」
のコピペを見てもわかるだろう。
あれは男から見た女のムカつくところを端的に示した名作だ。
対照的に、女から見た男のムカつくところがあると、
もっと最高だがね。
さて、統計的に、
女は共感が強く、男は問題解決が好き。
これを物語に当てはめると、
おのずと答えは出る。
物語のトンネルを好むのは男で、
トンネルが暗いから嫌がるのは女だ。
女は砂糖菓子の状態を好み、
男は暗いところから明るいところへの変化を好む。
統計的な話なので例外は沢山あることは付記しておく。
萌えるシチュエーションばかり描いて、
ストーリーが進展しないのは、
状態維持であり変化ではない。
こういうのを好む人は、変化であるトンネルを好まないだろう。
だって砂糖菓子で満たされていないから。
逆に僕はディズニーランドが嫌いだ。
夢の状態が停止していて、変化がないからだ。
映画の中の必死で作った変化のトンネルが、
ただの状態停止、脚本で言えば1ページ程度に圧縮されていることに、
僕はトンネルへの無理解を感じて、いやになる。
逆に状態の好きな人は、
どこからどこまでも続くステキな状態に、
夢中になれるかもしれない。
僕にとっては時間停止の地獄なのに。
さて。
今邦画は女の客しか見ていない。
男の客をあてにしていない。
だから変化のない、砂糖菓子のような状態映画ばかりだ。
男たちは、問題解決の娯楽を味わいたくて、
たとえばゲームにこもっているのかもしれない。
僕は小林靖子脚本が嫌いな理由がこれである。
トンネルの設定が下手だし、
その抜け出し方にも工夫がないと思う。
にもかかわらず、
状態のシュガーコーティングだけで、
主に女子に人気である。
僕にとってのストーリーはトンネルだが、
彼女たちにとってのストーリーは、状態の砂糖違いかもしれない。
断絶があるのだろうか?
互いに歩み寄れるのか?
両者を満たすものは作れるのか?
僕はあると思っているけど、
それがストーリーにとってベストの状態かは、
断言できない。
トンネルにとって砂糖菓子は休憩所でしかないからね。
つまり、男たちと女たちは、
違うものを架空世界のストーリーに求めていて、
違うものを同じ「ストーリー」という言葉で言っているかもしれない。
僕の言葉であるストーリー=トンネル観からすれば、
映画刀剣乱舞のストーリーは三流だが、
女子から見たストーリー=砂糖菓子の状態は、
一流だったかもしれない。
さて、男女差別おわり。
男で指していた性質、
女で指していた性質は、
生物学的な性差と一致しなくてもいいし、
一人の中に混ざっていてもいいし、
一定してなくてもいいと考える。
しかしトランスにすると話がややこしくなるので、
一旦男と女で表象した。
たとえば生物学的男性だって、
「チートでハーレムでオレツエー」という砂糖菓子がほしくて、
ラノベを好む層がいる。
生物学的女性だって、怒涛の展開が好きな人もいるだろう。
共感力と問題解決力は相反するものであるとも思わないが、
どちらが支配的かによって、
全く違う人生観、フィクションに求めるものの違いになりえる。
そして今は、
女的なものが優位であるような気がして、
男的なものが好きな僕は退屈で苦痛で、
その復権を願っている。
端的にいってしまえば、
女に社会を渡すな、という本音が見える。
いや、男を理解しない女に問題があり、
女を理解しない男に問題があるだけだとは思う。
なんどもいうが、統計的な男と女の話で、
個々人内で例外はたくさんある。
とりあえず、
物語とは変化だ。トンネルだ。
状態維持の砂糖菓子ではない。
「脚本をどう書くべきか?」
を議論するここの脚本論では、それを是とする。
なぜなら、
シュガーコーティングは後からできることであり、
工程の1/100くらいの労力で可能だからだ。
まずは99/100、中身を作ることが、
脚本の仕事である。
(逆に、シュガーコーティングだけがあるものから、
その中身を作るのは困難だ。工程の問題だ)
私の経験としましては「この映画何か面白くない、何かおかしい」→念のため作家を調べる→女性の作家だった…ということがとても多い気がします。
女性作家の特徴…決してドラマ(駆け引き)を描こうとはしない。全ての場面・セリフが「説明」なんです。
典型的な筋運びは「え?神宮寺君?あの神宮寺コンツェルンの御曹司の?!」
女の作家の本性は給湯室トークに尽きると思ってます。
女性作家のほとんどがガラスの仮面シンドロームの影響下にあるのではないかと見ています。
ああ、やっとこれが言える日が来た。
「ガラスの仮面」は、あれはあれで傑作なので、
下手な影響を受けた三流が悪いだけですね。
一般に、男性の方が空間認知に優れているといいます。
また逆に、女性の方が人間関係の属性判断が、
情報量多く並行処理出来るといいます。
くだんのセリフは、
空間把握で人間関係を把握して、説明を省く男性には説明過多な下手な台詞ですが、
この程度の情報処理なら多いと感じない女性には、読んでて楽しいかも知れません。
(繰り返しますが、個人によります。感想は個人によって差があります。これは演出です。など、訴えられないための文言)
優れた女性作家は下手な男性作家を凌駕するので、
どちらの性が優れているわけではないですが、
空間認知を育てるべき少年期に、
空間認知の出来てないペラペラな少年漫画を提供する、
下手な女性の少年漫画家は、反教育的とすら考えます。
僕はすぐれた女性作家が大好きです。
下手な作家を男女共クソ扱いするだけで。
映画刀剣乱舞の脚本や、
男性が違和感を感じる女性作家特有の欠点には、
思うところがあり、うまく言葉にしようと思っています。