2019年02月18日

物語というトンネル

ネットには時々賢者がいる。
恐ろしいほどの本音を端的に表現した考察。

物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いかもしれない
https://www.jigowatt121.com/entry/2019/02/17/233313

僕は常々、物語とは変化であり状態ではない、
と解説してきた。

この記事における「トンネル」は僕のいう変化であり、
この記事における「胃が痛いか/痛くないか」は、
僕のいう状態のことだ。


たとえば女性にホラーが苦手な人が多い。

血や内臓や、悪意が飛び散る状態が多いからだ。

しかしそのトンネルを抜けた先にあるものを、
ホラーが苦手ではない人は、
楽しみにしているから見るのだ。

これはさらに根源的なところに至る。

世の中には酷いことがあると考えるか、
そこから目を背けたいか、
という人生観の違いだ。


前者は、酷いことや不幸は常にふりかかると考える。
その時そこからの切り抜け方を考える。
なるほどこう切り抜けるのかと参考にすることもあるし、
自分の切り抜け方のほうがいいぜというときもたまにある。
つまり、物語のトンネルを見るとき、
「一緒に切り抜けるシミュレーション」として、
トンネルを楽しむ。

だから、自分の身に近い不幸は逆にリアリティがありすぎて、
切り抜け方がわからないから、
全然違う不幸がいい。
全く違う不幸の切り抜け方なら、安心してそこに没入できる。
へんなリアリティを思い出さずに済む。
(さらにマゾは、自分の身に近い不幸の切り抜け方を好むかも)

ホラーが大丈夫な人は、
血や内臓や悪意が飛び散ることは、
「自分と関係ない不幸」だと仮定して見ている。



後者は、人生の酷いことからなるべく逃げるために、
架空世界の砂糖菓子を食べる。
砂糖の時間は長いほどいい。


さて、
また男女差別をしようか。
偏見で決めつけないとズバリとした議論が出来ないからで、
常に例外があることをあとで復元してくれ。
統計上の男女の話だ。

女は共感力が強く、男は共感力が弱い。
男は問題解決が好きで、女はそうではない。

有名な「ヘッドライトがつかないの」
のコピペを見てもわかるだろう。
あれは男から見た女のムカつくところを端的に示した名作だ。
対照的に、女から見た男のムカつくところがあると、
もっと最高だがね。

さて、統計的に、
女は共感が強く、男は問題解決が好き。

これを物語に当てはめると、
おのずと答えは出る。

物語のトンネルを好むのは男で、
トンネルが暗いから嫌がるのは女だ。
女は砂糖菓子の状態を好み、
男は暗いところから明るいところへの変化を好む。


統計的な話なので例外は沢山あることは付記しておく。


萌えるシチュエーションばかり描いて、
ストーリーが進展しないのは、
状態維持であり変化ではない。

こういうのを好む人は、変化であるトンネルを好まないだろう。
だって砂糖菓子で満たされていないから。

逆に僕はディズニーランドが嫌いだ。
夢の状態が停止していて、変化がないからだ。
映画の中の必死で作った変化のトンネルが、
ただの状態停止、脚本で言えば1ページ程度に圧縮されていることに、
僕はトンネルへの無理解を感じて、いやになる。

逆に状態の好きな人は、
どこからどこまでも続くステキな状態に、
夢中になれるかもしれない。

僕にとっては時間停止の地獄なのに。



さて。

今邦画は女の客しか見ていない。
男の客をあてにしていない。
だから変化のない、砂糖菓子のような状態映画ばかりだ。

男たちは、問題解決の娯楽を味わいたくて、
たとえばゲームにこもっているのかもしれない。

僕は小林靖子脚本が嫌いな理由がこれである。
トンネルの設定が下手だし、
その抜け出し方にも工夫がないと思う。
にもかかわらず、
状態のシュガーコーティングだけで、
主に女子に人気である。

僕にとってのストーリーはトンネルだが、
彼女たちにとってのストーリーは、状態の砂糖違いかもしれない。


断絶があるのだろうか?
互いに歩み寄れるのか?
両者を満たすものは作れるのか?

僕はあると思っているけど、
それがストーリーにとってベストの状態かは、
断言できない。
トンネルにとって砂糖菓子は休憩所でしかないからね。


つまり、男たちと女たちは、
違うものを架空世界のストーリーに求めていて、
違うものを同じ「ストーリー」という言葉で言っているかもしれない。

僕の言葉であるストーリー=トンネル観からすれば、
映画刀剣乱舞のストーリーは三流だが、
女子から見たストーリー=砂糖菓子の状態は、
一流だったかもしれない。


さて、男女差別おわり。

男で指していた性質、
女で指していた性質は、
生物学的な性差と一致しなくてもいいし、
一人の中に混ざっていてもいいし、
一定してなくてもいいと考える。

しかしトランスにすると話がややこしくなるので、
一旦男と女で表象した。

たとえば生物学的男性だって、
「チートでハーレムでオレツエー」という砂糖菓子がほしくて、
ラノベを好む層がいる。

生物学的女性だって、怒涛の展開が好きな人もいるだろう。


共感力と問題解決力は相反するものであるとも思わないが、
どちらが支配的かによって、
全く違う人生観、フィクションに求めるものの違いになりえる。


そして今は、
女的なものが優位であるような気がして、
男的なものが好きな僕は退屈で苦痛で、
その復権を願っている。

端的にいってしまえば、
女に社会を渡すな、という本音が見える。
いや、男を理解しない女に問題があり、
女を理解しない男に問題があるだけだとは思う。

なんどもいうが、統計的な男と女の話で、
個々人内で例外はたくさんある。



とりあえず、
物語とは変化だ。トンネルだ。
状態維持の砂糖菓子ではない。

「脚本をどう書くべきか?」
を議論するここの脚本論では、それを是とする。
なぜなら、
シュガーコーティングは後からできることであり、
工程の1/100くらいの労力で可能だからだ。
まずは99/100、中身を作ることが、
脚本の仕事である。
(逆に、シュガーコーティングだけがあるものから、
その中身を作るのは困難だ。工程の問題だ)
posted by おおおかとしひこ at 12:14| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
男尊女卑論者と誤解を受けかねないリスクも厭わない姿勢に感銘を受けました。
私の経験としましては「この映画何か面白くない、何かおかしい」→念のため作家を調べる→女性の作家だった…ということがとても多い気がします。
女性作家の特徴…決してドラマ(駆け引き)を描こうとはしない。全ての場面・セリフが「説明」なんです。
典型的な筋運びは「え?神宮寺君?あの神宮寺コンツェルンの御曹司の?!」
女の作家の本性は給湯室トークに尽きると思ってます。
女性作家のほとんどがガラスの仮面シンドロームの影響下にあるのではないかと見ています。
ああ、やっとこれが言える日が来た。
Posted by サファイヤ太一 at 2019年02月19日 04:47
サファイヤ太一さんコメントありがとうございます。

「ガラスの仮面」は、あれはあれで傑作なので、
下手な影響を受けた三流が悪いだけですね。

一般に、男性の方が空間認知に優れているといいます。
また逆に、女性の方が人間関係の属性判断が、
情報量多く並行処理出来るといいます。

くだんのセリフは、
空間把握で人間関係を把握して、説明を省く男性には説明過多な下手な台詞ですが、
この程度の情報処理なら多いと感じない女性には、読んでて楽しいかも知れません。
(繰り返しますが、個人によります。感想は個人によって差があります。これは演出です。など、訴えられないための文言)

優れた女性作家は下手な男性作家を凌駕するので、
どちらの性が優れているわけではないですが、
空間認知を育てるべき少年期に、
空間認知の出来てないペラペラな少年漫画を提供する、
下手な女性の少年漫画家は、反教育的とすら考えます。

僕はすぐれた女性作家が大好きです。
下手な作家を男女共クソ扱いするだけで。

映画刀剣乱舞の脚本や、
男性が違和感を感じる女性作家特有の欠点には、
思うところがあり、うまく言葉にしようと思っています。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年02月19日 12:09
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