僕が最初にhhkb用のパームレストを見たとき、
https://www.amazon.co.jp/dp/B06Y258P9M/ref=asc_df_B06Y258P9M2589867/?tag=jpgo-22&creative=9339&creativeASIN=B06Y258P9M&linkCode=df0&hvadid=204298659983&hvpos=1o2&hvnetw=g&hvrand=11910748716131415273&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=m&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009300&hvtargid=pla-440303085249
「木切れに4000円?こんなん木片切ったら作れるやろ」
と思った。で、実際に何個も作った。
自炊慣れしてる人は、
「こんな料理で1500円?200円ぐらいで作れるやろ」
なんてことを思うそうだ。
DIY。それがこの話のキーワード。
今はすっかり見なくなったが、
昭和の昔はボタンつけや布当てをしてる人が、
たくさんいたものだ。
裁縫は女の嗜みで、針と糸はDIYというほどでもなく、
みんなできることだった。
(女だけというのが男女差別的だが)
80年代の漫画や映画やドラマならば、
ボタンつけや怪我の治療を女の子にされて、
「幼馴染なのに女を感じる」
なんてシーンは死ぬほどあるだろう。
今でも料理は、やや女のものとされているところはあるかな。
だから「風邪を引いて寝込んでいるときに、
料理を作ってくれるシーン萌え」が存在する。
ここで男女差別的役割分担の話をしたいのではない。
昭和の時代は皆DIYだったという話。
農家は道具も自分で作り、メンテしていただろう。
機械化される前は。
戦後世代が「豊かになった」といったのは、
「自分でやらなくても、買えば済むようになった」
ということを言っていたのかも知れない。
しかし、
私たち現代人はその社会に育ったので、
DIY能力が異常に低い気がする。
ものづくり工場は海外へ移転してしまい、
ものづくりの現場は日本にない。
我々は手足を奪われた、脳味噌だけだ。
買うか指示するしかできない。
なぜ自分で作ろうとしないのか?
自分で作るという発想を奪われ、
自分で作るという経験を奪われ、
失敗するという経験を奪われ、
自分で調べるという経験を奪われ、
失敗した末の成功体験を奪われている。
それゆえの、
作った人への尊敬や、これくらい自分でできるから尊敬には値しない、
という判断力を奪われている。
無論、コスト意識もだ。
僕はもともと絵描きなので、
基本はDIYしかない。
流石に画材から自分で作らないけど、
自分用のカブラペンのペン軸は削ってつくった。
今の、配列作りと自作キーボードは、
単純にその延長だろうなあ。
元々昭和の男の領分でいうと、
魚釣りや蕎麦打ちや燻製やキャンプや山登りや、
カメラやバイクやクルマや自転車なんかは、
今でもやってる人はいるよね。
裁縫や料理やお菓子作りだって男子がやってもいいし、
電子工作をする女子がいてもいいのに、
日本の発展は、
「DIYをやめて、奴隷が作ったものを買う」
ということに特化してきたんじゃないか。
僕は日本のものづくりに誇りを持っているので、
コストが理由で奴隷と言う名の移民に、
これを渡すつもりはない。
しかし実際のところ、
大きな流れでは、ものづくりは衰退していくだろう。
政治家がDIYができないからね。
政治すら、「あたらしいものをつくる」ではなく、
「調整する、コピペする」でしかなくなっている。
まつりごとがまつりを作ることではなくなりつつある。
おかしなことだ。
人はものをつくるために生まれてきた。
消費するために生まれてきたのではない。
僕は文章をつくるために、
配列をつくり、キーボードをつくっている。
ほかにこういう人がたくさんいてもいいと思う。
漫画を描くためにペン軸を削る人はたくさんいたのにね。
今、0から始めるminiAxeビルドガイドを書いている。
電子工作とプログラミングと、
キースイッチの軸のこととキーキャップのことが、
わからないと自作はできない。
しかし多少のキット化されている部分があるので、
そこはショートカットできる。
言われたことだけやればわからなくてもOKの部分だ。
そのへんの切り分けも含めて、
一覧できるものを書いているので、
少々お待ちを。
DIYには二種類いる。
目的があり、手段としてDIYをする人。
手段が面白くなってしまい、手段が目的になってしまう人。
釣りなんかは後者だろう。
昭和のDIYは前者で、それしかなかったからかも知れないね。
僕が理想とするキーボードという筆記具は、
僕の目的だが、
それは売ってないし、
なんなら現状は怒りを覚えるほどに稚拙だ。
キーボード、IME、エディタ、PCそのもの、
これらは文章を書くのに全然適していない。
売ってないなら、つくるしかない。
そう思う人が増えると、
日本はまだまだ面白くなると思う。
職人をないがしろにし、
口だけの商売人が幅を利かせて、
日本は沈んだと僕は考えている。
口だけの商売人は、手を動かせないなら、
手を動かす人のことがわからない。
ブラックボックスになっているから、
上がったものの良し悪しもわからないし、
良し悪しは、自分でない他人の評価で決めるし
(「僕は判断を保留します」というのを何回聴いたか)、
だからコストと愛想しか見ていない馬鹿ばかりだ。
職人よ、復権せよ。
DIYはその入り口だ。
2019年02月21日
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