2019年02月26日

テーマはたいてい複数ある

以前議論した、テーマが一意には決まらない、
という話。
これは表現がひとつに収束しないという、
根源的なことであるとも思うが、
同様に、
テーマがひとつであるとも限らない。
テーマは複数あってよい。


なぜなら、
物語にはサブプロットがあるからだ。

つまりサブプロットが抱えるテーマを含めれば、
複数のテーマが同一の物語に存在することになる。

極端な例を考えると、
主人公が行動するときに、
敵対者が存在するはずだ。
それは敵でもよいし、ライバルでもよい。
ストーリーとは複数の人間の目的が異なることから生まれる(コンフリクト)
なわけだから、
必ず主人公以外は、
主人公の目的と異なる目的を持つ。

その敵対者から見てみると、
ある動機と目的をもって行動するのだが、
主人公が目的を果してしまうので、
事実上目的をかなえられなくなる、
つまり敗北の物語になることになる。

ここから現れるテーマとは、
「そういった目的や動機や行動は、よくないし、
失敗するべきである」
ということである。
つまり、悪役は必ず敗北する。
「悪いことはよくない」ということがテーマになるからだ。

敵対者が悪い人間として描かれる理由がこれだ。
敗北するべき理由があるし、
悪はよくない、という王道のテーマになるからである。
主人公のテーマのサブテーマとして、
「主人公の行動や結果には価値があった。
そして、悪役の行動や結果から、
悪はよくない」
という負荷が加わる構造になるわけだ。

つまり、悪役のサブプロット(敗北する)
から立ち現れるサブテーマが、
テーマを裏から強化していることになるわけだ。


これは勧善懲悪ものでは必須の構造だが、
なにもそれだけではない。
敵対者が悪とは限らない。
別の価値観によるものがあるだろう。
そこに完全敗北ではなく、
微妙な勝利に終わらせることによって、
完全な悪ではない、ということにする手だってある。

ドラマ風魔の壬生がその例で、
彼の行動は悪として描かれているわけではない。
離反した夜叉の価値観がより悪としてえがかれるので、
壬生は完全な悪の価値観の代表ではない。
彼なりに正義があった、という描かれ方になっている。
そしてそれはメインテーマであるところの、
「絆」と対比されて、
孤独の壬生の敗北は、
絆の大事さを浮き彫りにするわけだ。
(死の間際、武蔵との絆をえがいたのは、
絆こそこの物語のテーマだと知らせるためである。
壬生は残念ながら退場するが、
絆というテーマを知ってから死ぬので、
人生としては勝利者だ。敗北者ではない)

このように、
主人公以外のプロットが、
テーマを持つ。
そしてそれは、テーマを裏から強化する構造になっているのが普通だ。

もちろん、主人公のもつメイン以外のサブプロットが、
その役目を果たすこともある。
事件解決がメインプロットななかで、
その主人公のラブストーリーがサブプロットになることが多いが、
そのサブテーマが、メインテーマと全く関係していないのだとしたら、
そのラブストーリーを挿入する意味がない。
ただの時間つぶしだ。

そうではなく、
すべてのサブプロットの、
すべてのサブテーマが、
メインテーマと関係するようにしておくべきである。


この物語のテーマは何か?
という問いに答えるとき、
メインプロットのテーマがそれである。
しかし、それだけではなく、
友情や努力の大切さや、
悪は栄えず滅ぶことや、
金より大切なものがある、
なんてことが、サブテーマになっていることが、
よくあるものだ。

だからテーマは一つとはかぎらない。
それらのテーマのセットが、テーマである、
と回答するのも、間違ってはいない。
ただ、それらのサブテーマたちが、
まったく関係ないものたちであったら、
わざわざ一本の物語にまとめる意味がないよね、
ということだ。

よくできた物語は、
サブプロットがまとまりがあり、
かつサブテーマがメインテーマを強化するものに、
整理されているものだ。

列伝形式では、
そうはいかない。
大抵それぞれ勝手な人生を生きているだけで、
それぞれ勝手なテーマの消化をしているだけである。
主人公のメインテーマでまとめるということは、
列伝形式の事象を、
サブテーマもふくめて、
ひとつのものに編み上げていくことを意味する。

何がいいたいかというと、
三国志演義は、ストーリーとしては拙劣である、
ということである。
(もちろん、キャラクターやエピソードのひとつひとつは面白い。
しかし、一本のストーリーとして、まとまっていないだけだ)


あなたのストーリーの中で、
サブキャラクターや、
主人公のサブプロットは、
どういう結末を迎えるだろうか?
それは、どのようなサブテーマに帰着することになるだろうか?
それらがメインテーマと、なんにも関係ないなら、
いれる意味がない、と断言してもよい。

テーマたちが、集合として、
興味深いひとつのテーマに編まれているから、
物語は面白いのである。
posted by おおおかとしひこ at 13:18| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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