2019年02月25日

すぐれたアイデアは、数値化できない

アイデアAとアイデアBの、
どちらがすぐれているか、客観的な指標は存在しない。

明らかに格上や格下が存在するとしたら、
「そのアイデアがカバーしている範囲
(空間的、時間的)」かもしれないが、
それ以上数値に落とすことは難しい。


だから、
アイデアの価値をわからない人は、
数値化することで理解しようとするときがある。

経済効果数億円とか、
損失をこれだけ防ぐとか、
RT数とか視聴率とか。

賞もそうだろうね。
これも数値化しがち。
最多○部門受賞とか、○賞総なめとか。


アイデアは数値化できない。
これは、物語が動的であり、静的ではないにも関わらず、
誤って静的なもので分解しようとすることに似ている。

何かが何かより優れているかどうかは、
どちらが自分の深いところに刺さったかという主観的体験と、
それが個人的なものに過ぎず、多くの人の心に同様に刺さる、
という判断力でしか判別できない。


主観だけで判断するのは間違いで、
それは個人的な意見になる。
「誰もがそうだ」という判断力は、
人間とはこのようなものだ、
社会とは、歴史とはこのようなものだ、
という客観的なものの見方によって培われる。

自分一人が刺さってみんなにはさっぱりなものと、
自分には刺さらないが、みんなに刺さってるものと、
自分にもみんなにも刺さるものと、
滑っているものがある。


どれだけ的確に判断しているのかも、
これまた数値化できない。


つまり、
わかるのに測定できない、
というのが、
アイデアや物語の、厄介な部分だ。

いま、ビジネスが、
客観的測定ばかり気にしていて、
「わかる」ものに投資していない。

損を切りたいのはわかるが、
益もないだろう。
時代を変える益が出てきにくい時代になった。
時代が時代を硬直化させている。


アイデアは、ツイッターなどの小さなメディアで実験されて、
バズったやつだけ大メディアが追いかけるようになった。
先端と拡散が別のメディアになってしまった。
テレビや映画が詰まらなくなったはずだ。
テレビや映画は、先端で開発もやってたから、
面白かったのに。
(それは大量の爆死とセットだったけど。
成長点は大量虐殺と表裏一体だ)

死にたくないが、生きてもいない。
それが今の大メディアだ。


さて。


あなたのアイデアは、すぐれていますか?
それをどうやってわかりますか?

わかる人にしかわからないものですか?
わからない人が、説明すればわかるようになるものですか?
わからない人も、説明もなしでわかるようになるものですか?

最後のものが、もっとも優秀だろう。
あとは効果範囲の差になる。


そして突き抜けたアイデアというのは、
そもそも判断する基準を持たないから、
なかなかわかってもらえないかもしれない。

コロンブスの卵は、目の前に出現させるしかない。
じゃあ、書くしかないよね。


成長点は、爆死と表裏一体だ。
その中で切磋琢磨がある。
posted by おおおかとしひこ at 14:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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