発想の最初は、大体こんなものだろう。
それが最終的に物語になるかどうかには、
ひとつの基準があると思う。
そこに、動詞が入っているかだ。
よくある発想は、
「○○○が、△△△だとしたら?」
「○○○が、◇◇◇に?一体どうしよう?」
などの、
設定によるものや、
シチュエーションによるものが多いと思う。
しかしこれは、
相変わらず同じ分類をするけれど、
点の発想であり、線の発想ではない。
なので、
一瞬は面白いが、その後続かないという特徴がある。
設定による発想では、
「その設定を生かす場面」がそれが持つ
(面白いと思える)の限界であり、
シチュエーションによる発想では、
「そのシチュエーションに陥るまで」
が、その限界だろう。
たかがワンシーンしか持たないアイデアで、
あなたは「面白いものを思いついた!」
と小躍りしているだけかもしれない。
さて、「笑点」を思い出そう。
「○○○で△△△。そこで一言」
なんて問題が出されて、
みんな回答をひねりだす。
あなたのアイデアは、
実はまだこの問題に過ぎないかもしれない。
回答を考えて、はじめて物語に必要なアイデアかもしれない。
なぜなら、
「それで、どうする?」が物語だからだ。
あなたは、問題に対して、
面白い回答をしなければならない、
色々思いつく中で、ベストの回答をしなければならないのに、
たかが問題を思いついただけで、
思いついた!と勘違いしているだけかもしれない、
ということなのだ。
で、
本題だけれど、
それが問題で終わっていないかどうかを見るのに、
「動詞が入っているか」が見分けるポイントになる。
たとえば。
「凶悪犯ばかりが送り込まれた島に、
島流しにされた」
というのはまだ点のアイデアだ。
「凶悪犯ばかりが送り込まれた島から、脱出する」のか、
「凶悪犯ばかりが送り込まれた島で、戦う」のか、
「凶悪犯ばかりが送り込まれた島で、農業する」のかで、
話の内容はまったく異なる。
で、
「どう脱出するのか」
「どう戦うのか」
「どう農業していくのか」
によって、
まったく異なる方向のアイデアが必要だろう。
その動詞の部分に、本当にアイデアが必要なのだ。
「凶悪犯ばかりが送り込まれた島」
は、その本当に必要なアイデアへの、
伏線に過ぎないことが予想できると思う。
つまり「凶悪犯ばかりが送り込まれた島」は、
笑点における問題でしかなく、
「どう○○するのか」に必要なアイデアが、
皆が頭を捻りながら導き出し、
本当に感心されるべき、回答になるわけだ。
ネットの発達によって、
「面白い○○○」という、
点に到達するのは恐ろしく簡単になった。
ツイッターやまとめサイトには、
そんなものが山ほど転がっている。
しかしこれらは線ではない。
物語にするには全く足りていないアイデアだ。
これらを大喜利の問題にはできる。
あなたは、回答にあたる何かを、
動詞の形で考えなければならない。
2019年02月27日
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