基本的には自由に書くと良い。
ただし、練習としてひとつオススメのやり方を紹介しておく。
「焦点を中心に書いていく」ことだ。
あらすじに、設定やシチュエーションばかり書いてもだめだ。
ストーリーを理解するのに最低限のものだけにしておくと良い。
一番書かなければならないものは、
主人公よりも何よりも、
焦点であるべきではないか?
焦点とはつまり、
「○○しなければいけないので、△△した」
などのように記述される、
「今ストーリーで問題になっている点」
のことだ。
とくにこれが緊急であればあるほど、
ストーリーの緊張は高まる。
これが曖昧になってしまうと、
ストーリーは簡単に詰まらなく、退屈に、
宙ぶらりんになる。
たとえば、
桃太郎において、
大事な焦点は、
「鬼が村の宝物を奪い、村人を惨殺または誘拐したこと」
であり、
「鬼退治の必要性がある」
ことである。
これはセンタークエスチョンでもある。
無事鬼が退治されれば、この物語はおしまいだ。
しかし桃太郎のあらすじを書くときに、
「桃から生まれた桃太郎」とか、
「おばあさんがきびだんごを渡した」とか、
「きびだんごと引き換えに、犬猿雉が仲間に」
とかの、「設定」を書いてはだめだ。
だめではないが、それがメインではないということだ。
不思議な出自を持つ桃太郎は怪力で、
村一番の勇者に育ったので、
(今焦点であるところの)鬼退治をすると宣言した、
とか、
鬼退治を一人でやるわけにはいかないから、
道行く先々で、家来をきびだんごと引き換えに得たとか、
そのような書き方をするべきなのだ。
この焦点において大事なことは、
「桃太郎が桃から生まれたこと」ではなく、
「桃太郎が鬼退治に相応しい力があること」だ。
今まで怯えていた村人の、
たった一人の希望なのである。
ハリウッド映画風に言えば、
「この村の運命は、たった一人の男に託された」
のである。
それがちょっと不思議な出自を持つことは、
平凡な村人から生まれては面白くないからだ。
だから説得力のための設定であるわけだ。
たしかに桃を切ったら赤ん坊が出てくる場面はインパクトがある。
しかしそれはストーリーのメインではなく、
出落ちに過ぎない。
桃太郎のセンタークエスチョンは、
「鬼退治できるか?」であり、
私たちはその目的が果たされるのかどうかについて、
ハラハラするべきである。
だからたとえば、
「一人でも鬼退治できると慢心していた、
井の中の蛙であった桃太郎が、
四天王最弱の鬼に敗北し、世間の広さを知る」
なんて起伏があってもいいと思う。
そのセンタークエスチョンに対して、
あり得る展開だ。
(当然のことながら、修行したり仲間を増やして、
リベンジする展開があるだろうね)
説話であるところの桃太郎は、
そのへんの焦点がぼやけてしまっている。
だから、
ストーリーとしては出落ちに過ぎなくなってしまっている。
何年か前に、
鬼の子供目線から、「ぼくのお父さんは桃太郎に殺されました」
なんて広告があったけれど、
あれは桃太郎で省略されていた、
「鬼が村に侵略した」ことを読み取れていないやつが作ったものだと考える。
桃太郎が出落ちだけの物語になっているから、
桃太郎の動機や焦点が曖昧になっているわけだね。
つまり、
あなたの書くあらすじは、
そうなってはいけないということだ。
どういう緊急事態が起こっているのか。
何に注目して見ていればいいのか。
なぜこの人はこのようなことをするのか。
それらが焦点だ。
そうすると、
動機と行動が一本の線になってくる。
もちろん、それを阻止しようとする人や、
追い抜こうとする人も出てくる。
それをコンフリクト(衝突、競争)というわけだ。
その緊急事態をどうやって切り抜けるのか、
ということがストーリーだ。
その焦点について、
あらすじを書くべきである。
ためしに、名作のあらすじを、
設定まる無視して、焦点だけに絞って書いてみたまえ。
あるひとつの焦点を追うのか、
複数の焦点を追うのかはストーリーによる。
ある焦点を追っていたら、
別の焦点に変わる場合もある(ターニングポイント)。
そのような、
焦点の骨格こそが、あらすじであるべきだと、
ぼくは思う。
それに、設定というガワをかぶせれば、
普通のあらすじが出来上がるよ。
設定とか出落ちのことばかり書いてあるのは、
あらすじとは言わない。
しかしストーリーに無知な人は、
そっちばかりを追いかけてしまい、
一向にストーリーが何かを把握できずに終わる。
2019年02月27日
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