ネットではよく、
「何を言っているかよりも、誰が言っているか」
だと言われる。
どんなにいいことを言っても、無名の人なら取り上げられないし、
逆にたいしたことでなくても、有名人ならバズる。
いかに阿呆が多いか、ということである。
この言葉を借りれば、
「何を見るかより、誰を見るのか」に、
今、映画やドラマが堕落しているといえる。
ネットのニュースで、
「『3年A組』永野芽郁、衝撃のカミングアウトに驚きと戸惑いの声殺到(ネタバレあり)」
という見出しを見た。
記事の内容は、
永野芽郁のカミングアウトなのではなく、
さくら(ヒロイン)のカミングアウトであった。
さくらがどういうカミングアウトか、
ハラハラと心配するよりも、
永野芽郁がどういうカミングアウトするかのほうが、
世間に注目を集める、
ということだ。
(もちろん記事の見出しは、その誤認を狙っているわけだ)
この時点で、
さくらが永野芽郁に負けている。
負けているようなドラマを作る人たちは、
恥じるべきである。
恥じたり、悔しくないのなら、
やっぱり恥じるべきだ。
永野芽郁かどうかよりも、
さくらが何ていうか、その先を見守るドラマが、
ほんとうに面白いドラマだ。
(風魔では、藤田玲ではなく、
「壬生」がどうなるか、みんなドキドキしていたではないか。
それが理想である。
藤田と永野芽郁の知名度に差はあれど)
2019年03月04日
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