「ググって出てくるか出てこないか」は、
いまやわりとポピュラーな需要の調べ方だと思う。
で、出てきた時の方が需要がある?
出てこない時の方が需要がある?
誤ったマーケティングは、
「出てきたほうが需要がある」と考えること。
「みんなが言及しているから、
それは売れ筋であり、
それを売れば皆が買う」
と考えるのは、商売人として三流だと僕は思う。
なぜなら、今からそれを手配しても、
既存の市場に後発で参入することであり、
もうブームは去りつつあるからだ。
美味しい上澄みは終わっていて、
カスを掠めとることは可能だ、
という程度だろう。
消費者の立場から見ればあきらかだ。
独創的ななにかが出てみんなが飛びついたあと、
二番煎じや三番煎じが出てきて、
あまつさえパチモンが出てきて、
その市場自体に魅力が失せることは、
しょっちゅうあることだ。
(このときに、オリジナルを超えた改良版が出れば、
市場は再び息を吹き返す)
「市場とは魅力や輝きを金で手に入れること」
だと僕は思う。
ググって出てきたら需要があるので、
後発参入する三流たちは、
自らが市場を終わらせにくる。
僕は、
「消費者として欲しいもの」を作るのが、
もっとも正しいマーケティングだと考えている。
あなたは消費者の一人であり、
この世の中に溢れる何かに詳しければ詳しいほど、
どこまで探してもないものの存在に気づく。
ないならつくる。
それがものづくりの原点だ。
あとは、それがどれくらい強烈に欲しいか、だろう。
自分の中の飢えや渇きを埋めるために、
ものづくりはするべきだ。
でないと満足などあり得ない。
それが、他の人も欲しいものかどうか、
を見極められるかどうかが、
商売人としての目だ。
みんな欲しいか、そうでもないかだ。
ただ、特定の個人が猛烈に欲しいものは、
他の似たような誰かがちょっと欲しいものになる可能性は高い。
日本のマーケットだけで考えなくとも、
いまやグローバルでアマゾンとネットとクレジットがあればなんとかなる。
たとえば僕が散々はまっている自作キーボードは、
ニッチだけれど強烈な需要がある。
この流れを感じ取れなかった日本の家電メーカーは、
商売人として三流だ。
二年前くらいにその芽はあったのだから、
キットを作って売り出せば、
今頃mint60以上にバカ売れだったろう。
その10年以上前から、
「キーボードをカスタマイズ出来ればいいのに」
なんてみんな思っていた。
潜在需要を感じ取れなかった大企業糞病だ。
去年の夏、当時至高と思っていたhhkbのユーザーミートアップに参加し、
企業の人(開発ではなく営業や広報だろう)と、
直接話せた。
僕は30gモデル(なんなら20でも10でも)が欲しいと訴え、
会場のユーザーは大きな拍手をしたにも関わらず、
企業の人はその潜在需要に気づいてない顔をして、
それで終わりになった。
その時点で、こいつらは三流商売人だと、
僕はhhkbを見限った。
たぶん彼らは、キーボードを使ってないのだ。
同時期、実は僕はカタナ式キーボードを、
数社に売り込むことをためしにやってみた。
当時自作という知識がなかったので、
金型製作に1000万とかの開発費で、
どこも頓挫した。
今ならカタナ式キーボードは、
少量生産なら1万+人件費で生産できることを知った。
(いつか試作品は作るかもしれない)
各企業は、大企業病になっている。
需要がある、と感じるセンサーは、
ユーザーとしての実感だけだ。
ググっても出てこない。
自分が強烈に欲しいものは、
他の人も強烈に欲しい可能性がある。
そしてそれはいまないなら、
ググっても出てこない。
創作物を商売にするには、
それをどうにかして投資案件に持ってこれることで、
それができる人が一流なのだろう。
僕は商売人としては二流だから、
お金持ちにはなれないし、
たいして作品が流布するわけではない。
しかし強烈なファンがいることくらいは自覚している。
まあいつか誰かに発見されるまで、
淡々と積んでいくさ。
さて。
いま、邦画の商売人は、三流だらけだ。
だから邦画はもう斜陽だと思う。
日本の大企業も、商売人としては三流だ。
だから日本も斜陽だ。
ググって出てくるものしかつくっていない。
似たようなのしか出てこないし、飽きたと思われてるのに、
なぜ気づかないのか?
ググって出てこないものをつくる人を、
クリエイターという。
あなたはコピーヤーか?
クリエイターか?
2019年03月12日
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