2019年03月16日

どのような価値観が対立するのか

と問われて、すぐに自分のストーリーの中のそれを答えられるだろうか。


ストーリーとはコンフリクトである。
それは(一人の中の価値観の)葛藤ではなく、
(複数の人や団体の)対立や衝突である。

対立や衝突だから、
それは闘いになり、
最終的には勝利者がのこる。
勝利者は、どちらかかもしれないし、
別の何かに融合したりするかもしれない。

いずれにせよ、
物語とはコンフリクトであり、
闘いであり、
(誰かの)勝利で締めくくられる。

その対立する何かの、
価値観が違うから衝突するのだ。

その価値観を、表にでもしたまえ。

争いの原因は、
「なにをどう考えたから」起こっているのだろうか?


単純なひとつの争点であるかもしれない。
複数の相容れない考え方があるかもしれない。
それはなんだろう。表にすると、整理できる。


正義と悪という単純な争いになることは、まれだ。

「組織の為に個人が犠牲になるべき」
「個人は組織より優先される」
というふたつの価値観を、
「オリンピックに都民はどれだけ協力するべきか」
という問題を与え、
争わせることは、架空のストーリーの中では可能だ。

もちろん、勝つ方の価値観が、
主人公側の価値観であり、
作者に近いほうの価値観であることが多く
(それゆえ作者の主張がテーマと誤解されることが大変おおい。
作者の人生観や価値観が作品に色濃くなることは、
人が作るものである以上自然なことかもしれないが、
自分の価値観と関係ないものをテーマとした作品をつくることくらい、
ストーリーテラーなら基礎能力であるべきだ)、
世間でのあるべき価値観であることが多い。

それが世間で受け入れがたい価値観であるならば、
それは声高く主張するべきものではなく、
発禁と闘うことになるかもしれない。
(それでも表現の自由は存在する。
たとえ目を背けるようなものでも、
表現にはすべて存在の自由がある。
自分の好ましくないものの存在を認められない者は、自由の意味を知らない者だ)

まあ単純に「いま、ただ売れたい」
と考えて、
今好ましい価値観を入れ込むのは、
生存戦略としてよくある手である。
ただしその流行はいつひっくり返るか、
いつ無価値になるか、誰にも分らないだけだ。


対立する価値観を、
分り易く悪と正義にするのも、
徹底的に相手を打ち負かすのに、
特段の理由がなくて済むからだ。
逆の結末にするには、とても勇気がいるだけのこと。


ようやく本題。

自分のストーリーが、
どのような価値観の対立になっていて、
それが世間の「価値観の対立」のパターンと、
どう違うのか、どう同じなのか、
相対的に知っておくこと。

それを整理すること。

伝統的価値観と進歩的な価値観の対立なのか、
直感的動物的価値観と、科学的な価値観の対立なのか、
個人主義と全体主義の対立なのか、
それはストーリーによって異なる。
ひょっとしたら、きのこたけのこ戦争くらいの、
価値観の対立かもしれない。

それはなんでも構わない。
まずは整理することだ。

何を賭けて戦っているのか、
書いている途中で、急に見失うことがある。
それを確認するための、
表をつくっておくこと。


ちなみに、
それらの対立を面白くすることは、
あらゆるポイントでことごとく反対になるような、
ふたつの価値観を選ぶことだ。
たとえば東京と大阪の価値観とか。
男と女の価値観とか。
南の人と北の人とか。
そういった、全くの違いを、いろんな点で設定しておくと、
ことごとくケンカするポイントが生まれ、
相容れない感覚を作ることができる。

あるいは、対立する部分が多いくせに、
「共通する部分」を作っておくのも、
ひとつの手である。
同じところから生まれたものが、
次第に対立してしまうことになった経緯なども描けて、
なかなか興味深いモチーフになることだろう。


また、
敗北する予定の「敵」の価値観が、
必ずしも悪いことである必要はない。
ぞくぞくするような魅力にあふれる価値観でも構わない。
悪が魅力的なのは、
リスクと紙一重だからではないかと思う。
「親の監視から逃れて、恋人とセックスする」
というのは、悪魔的な魅力がある。
背徳に限らず、
リスクと表裏一体なのは、とても魅力があることを覚えておくといい。
つまり、ある価値観は、あるリスクとセットになると、
魅力のある輝きを放つ可能性がある。


さて。
あなたの描くストーリーは、
どのような価値観と、
どのような価値観の、衝突か?
それらはどっちが世間で受け入れられ、
どっちが世間から忌避されているか?
それぞれの言い分を聞こう。
そして、どっちが正しいと、物語では結論づけるのか?
ことごとく違うのか?
同じ点はあるのか?
どっちに魅力があるのか?
それはリスクと関係しているか?

それらをただ整理するだけでも、
物語がきちんとエッジを持つことになる。

ただの悪と正義の話でも、
バルタン星人とウルトラマンのような話もあれば、
ダースベイダーとジェダイのような話もある。
(あれ? 帝国側は何が悪なんだっけ?
ここがないから、スターウォーズは面白くないのだ。
見かけ上戦力の豊富な侵略者と、
ゲリラ戦線という差しかないよね。
共和制と帝国主義は、どちらが悪か決まっているわけではないし、
帝国側の悪についてはまったく片手落ちだ)
posted by おおおかとしひこ at 17:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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