自分の思っていること、前提だと考えていることは、
意外と言葉になっていない。
それと違う人と揉めることで、
自分はこれを前提にしていたのか、
ということに気づかされることになる。
生活習慣がわかりやすいか。
県民ショーを見れば、
各地方での習慣に差があり、
それにいちいち驚いたり、
揉めることがあることを知ることができる。
僕は関西人なのでうどん派だけど、
関東の人間のそばの位置にうどんはない。
それを、関東に来た時にやっと肌で知った。
小腹が空いた時に食べるものとしてはどちらも同じかも知れないが、
うどんの持つあったかさ、腹の満足する感じ、
雑炊の代わりになるようなもの、
としての役割はそばにない。
僕が「うどんを食べたい」と思う時、
そのあったかさを求めていることがあり、
そばでそれは代わりにならない。
そばとうどんは、文脈において一対一対応ではない。
関東にいて、小腹が空き、
あったまりたいなら、
鶏ガラ出汁のあっさりラーメンが良いだろう。
しかしうどんのほっこり感、体に無理をかけない感じは補填出来ない。
風邪ひいたときにうどんはいけるが、
ラーメンはしんどいね。
このように、生活習慣が、
言葉になっていない前提になっているがため、
揉め事の原因になることがある。
「うどんがなければそばを食べればいいじゃない」
と関東人が言う時、関西人は激怒するのだ。
「一緒にすなボケ」と。
これはつまり、
物語の核心、
人と人の争いに応用できるということだ。
世界の違う二人が、
喧嘩したり仲直りしたり、
違いのいいところを発見するのは、
恋愛ものの基本である。
民族同士、集団同士の戦いや和解なら、
規模の大きな話になるだろう。
そして、違いを、
生活習慣でなく、
「人間とはこういうものだ」
という先入観も含めた人生観の違いにすればよいのだ。
「人生は悲劇である」と思っている人と、
「人生は喜劇である」と思っている人が、
呉越同舟でチームを組んだり(バディムービー)、
戦うと、いろいろなことが起きるだろう。
「人を騙せば勝ち」と思っている人と、
「人を騙してはいけない」と思っている人でも、
物語がつくれる。
これに自覚的でない状況をつくれば、
それぞれのキャラクターは無意識で行動してしまうからだ。
忘れ物の財布を見つけた時、
どうリアクションするかを考えよう。
「人を騙せば勝ち」と無意識に思っている人は、
現金なら足がつかないから、現金だけ抜くだろう。
「人を騙してはいけない」と無意識に思う人は、
まず警察がどこにあるか探すだろう。
後者の人が警察を探す隙に、
前者の人が万札を抜いてる所を目撃し、
二人の間に揉め事が起こるはずだ。
自分が無意識に何を思っていたのかは、
自覚できない部分がある。
だから、その差が出るような場面に、
両者を会わせればいいのである。
のちに世界大戦に発展する最初の揉め事が、
首脳会議でのウェイトレスへの対応の違いである、
なんてやれるようになると、
人間とはどういう生き物であるか、
よくわかっている、ということになるわけだ。
2019年03月17日
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