2019年03月19日

行き詰ったら、プロットに戻るしかないのだ

書いている途中、どうしても行き詰る。
止まらない執筆なんて大体ない。
そこでうんうん唸って、
面白い展開を思いつくこともあるが、
そうならない場合、地獄の苦しみが待っている。
何が問題なのか、なかなか見えてこない。

見えてくるには、結局プロットに戻るしかない。


いまどういう流れで、
最初どういう流れで始まり、
どういう展開ののちに、
どういう落ちへいくのか、
今一度整理するしかない。

それが面白く見えていない、
というのが原因だから、
面白いと思えるまで、
今一度練るしかないのだ。


そもそも、
「最初になぜ面白いと思ったのか」
をリストアップしてみよう。
それが、何故面白くなくなったのか、
出来れば分析してみよう。

今僕が書いている話の場合、
「空を飛ぶことが面白い」と思ったから書き始めたのだが、
「空を飛ぶのはわかった。で、それから何が面白いんだ?」
ということに嵌っていることが判明した。

最初の思い付きだけで進んでしまい、
それからの面白さを用意していない、
(用意してはいたが、そこまで面白い要素ではなかった)
ということに気づく。

最初の思い付きが衝撃があればあるほど、
よくあることだ。
その点に紛らわされて、
他が曇って見えていなくなる。


ストーリーの面白さは、
点ではなく線であることも、
自覚していてもこれだ。

なかなか難しい。
「面白さ」を、
私達は、点でしかとらえていないことも問題だろうね。
たとえば、
1234と面白さがあるとしよう。
1だけが突出して面白い場合、
他の234がたいして面白くないとき、
どんどん詰まらなくなっていく。
1が出オチになってしまっているということ。

最初の思い付きが面白い場合、
大概こうなってしまう。
なるほど、234をもっと面白くしない限り、
この「どんどん詰まらなくなっていく」
という感覚はかわらないぞ、
ということに気づく。

こういうことを俯瞰するのは、
プロットしかない。

しかも、自分の書いたプロットを眺めていても答えは出ない。
白紙に、プロットをもう一度書き下ろしてみることで、
俯瞰することができるようになる。
400字くらいで書いてみるのがよい。
大まかにつかめるからだ。

ついつい1000字越えのプロットを書いてしまいがちだけど、
それはまだ俯瞰できていない、
ということだ。

それは大づかみにいって、どういう話なんだ?

構造、動機、行動、対立、展開、結果。

こういうものを書いていくだけで、400字なんてすぐに埋まる。
最後まで話を書き終え、
俯瞰するようには、400字程度のものがやりやすい。

俺はこんなものの為に苦しんでいたのか、
などと俯瞰することができる。
分かったら、人間というのは現金なもので、
「じゃあ、こう改良するとよいのではないか」
なんてアイデアは、出てくるものである。

しかし、気を付けておくべきは、
細かいアイデアをメモするのはいいが、
それで再びプロットを書き直しておくことだ。

面白さのアップが、部分的であることが多いからだ。

そのアイデアを取り入れた場合のプロット400文字が、
たいして変更されないなら、
部分的な面白さの更新に過ぎず、
ストーリーの根本的な直しになっていないことが多い。

ふたたび、主人公に関して、他のことに関して、
400字程度で書き下ろしてみて、
そのストーリー構造が面白くなっているなら、
原稿に戻る意味がある。
(僕の場合、主人公に関するテーマが、
空を飛ぶこととうまく絡まないと意味がないと考察した。
しかしまだ絡んでいないことが、
プロットを書き直すことで判明する)


続きをそのまま書ける可能性は低い。
新しいプロットに基くなら、
その始まり方や展開は、
まったく別のものになるべきだからだ。

ということは、全面的に書き直したほうが、
作業効率的にはよいかもしれないくらい。

まあ、
前の原稿を見ながら、
残すべきところは残す、という現実的な選択肢にはなってくるが、
何を根本的に直すべきか、分かっていないとまた難破するだろうね。

プロットと原稿をつねに対照させて、
本筋からそれていないか、
常に確認していく。
たった400字。
それが本質であることを、忘れないこと。

途中でまた同じように行き詰まり、
この話が面白く無い、って思い始めたら?
そのときは、また同じことをやるだけだ。

ええい、これでいてまえ、
って勢いで書ききってしまう、
というのもある種の選択だ。
ベストではないが、ベターをつくる、
というスタンスでないと、
仕事は終わらないこともある。
(その後悔が、代表作は次回作、になるのだろう)

あるいは、キャラクタードリブンの力を借りる手もある。
ストーリーはたいして盛り上がっていない所でも、
キャラクター同士のなにやらをやるだけで、
愛情は生まれる可能性がある。

この先どうなるか見たい、まで行かなくても、
こいつらがどうなるか見たい、
になるなら、次を書くことはできるだろうから。

そうしているうちに、
次どうなるか見たくなる流れに、
再合流できるかもしれない。

その場合でも、プロットが重要で、
結局どういう話になるんだっけ?
ってことがないと、いつまで経っても堂々巡りになってしまう。

ストーリーとは、二度と戻れないことを起こすことだ。
堂々巡りをするようなものはストーリー(時間変化)ではないから、
それを書いた計画表が必要である。


ということで、
プロットにもどったり、
キャラクターに頼ったりしながら、
とにかく俯瞰して、目の前を見て、
次へ進む力を取り戻す。

挫折を救うのは、自分の知性と勇気しかない。

やる気がわいてこないのは、面白くないからで、
面白い何かを唸ってひねり出すべきだよね。
プロットレベルで面白くなるように、
ひねり出すしかない。

その為には、
毎回だけど、
動機、行動、目的、対立構造、展開、
どういう人々がかかわってくるのか、それらの対立や価値観などを、
一個一個整理することになる。

全体としての意味は、おそらく最初に書こうとしたことが一番面白いだろうが、
それ以外のテーマに落ちることもあるから、
それは400字で俯瞰して決めることだね。


何もかも、俯瞰して考えるべきだ。
その為にプロットはある。
何回書き直してもいい。
それのこれが面白い、という確信を得るまで、
書き直すのもよいだろう。

あなたが最初に思っていたことより、
全くちがうことが、最終的な面白さに寄与することなんてざらだ。
それを意識していくことだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:38| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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