プロットがふつうで、キャラクターがふつうなら、
出来はふつうか並以下になる。
突出した点がないからだ。
世界観やキャラクターが特殊で魅力的な場合、
プロットが平凡でも突出して見える。
理想は、設定やシチュエーションが面白く、
焦点に興味が持てて、
感情移入がうまくいき、
テーマに落ちるクライマックスが盛り上がることだが、
それのどれかが弱い場合、
ぶっちゃけキャラクターが引っ張っていくことが、
稀によくあることを覚えておくことだ。
たとえば、
僕は原作「風魔の小次郎」の聖剣戦争編が、
凄いと思っていたのだが、
大人になるとただのキャラ出落ち祭りであることに冷静になってしまう。
5対5の構図はよく考えたらリンかけと同じであり、
車田的には黄金パターンだったことに、
大人になってから気づく。
試合展開もよく見ると平凡だ。
しかし、紫煌剣の邪火麗なんてすごいし、
対する白朧剣の死牙馬のキャラも立ちまくり。
武蔵と小次郎の共闘も燃える。
伊達の紅蓮剣はかっこいいし、
ネロの雷光剣は初めに出た第三の聖剣。
とにかくキャラクターの立ちっぷりだけで、
勢いで走ることも、
時には可能であることを覚えておくことだ。
もちろん、
ストーリーがその代わりスカスカになっては、
脚本を書く意味なんてほとんどないけどね。
逆に、
立ったキャラクターと平凡なプロットを材料にして、
そのキャラの個人的目的をつくれれば、
ストーリーに深みが出て、
メインプロットよりサブプロットの面白い、
重層的なストーリーになるかもしれない。
(そしてほとんどの長編漫画はこの構造になっている)
サブテーマの昇華がそれなりにカタルシスがあれば、
メインテーマの昇華が並でも、
並以上に見えると思う。
勿論理想は、
主人公のメインプロットのメインテーマが、
一番面白いことだけど。
2019年03月21日
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