2019年03月23日

事実は小説より奇なり

NGTの記者会見が、歴史的に面白いと評判。


不問に付すとして事なきを得ようとする運営の記者会見中、
暴行(未遂?)された山口さんが、
リアルタイムでツイッターで反論、
それを記者が現場で拾い、
運営側に間違い(意図的隠蔽?)を正させるという、
前代未聞の中継プレイ。

そしてそれを、生放送とツイートで見守るという、
ネット民の構造。

スポンサーに固められ、
何も冒険できなくなった地上波テレビでは全く出来ない、
真のリアルがここにあった。

僕はまとめサイトなどでその空気感を知っただけだが、
ファンと繋がっている闇とか、
それを隠蔽する文春とか、
新潟の土地のせいにした発言とか、
とにかく登場人物全員が劇場型だ。

「新しい劇場型アイドル」と誰かが言っていた。


まったく、事実は小説より奇なり。

フィクションというのは、
これに勝つほど面白くならなければならない。

どうやってか?

僕は、情報の整理で、だと思う。


もし今回の一連の騒動を映画化するとしたら、
あなたはどの登場人物を残し、
どの要素をカットするか?
多少創作を入れても良いとしたら、
どういう場面をつくるだろうか?

ある事件を、
それが本当のことか架空のことかはどっちでもよく、
物語的に劇的であれば、
それはシナリオに書くことができる。

この記者会見がクライマックスで、
「その後グループは解体した」
と字幕で終わる映画になるかもしれないし、
まだつぎのクライマックスがあるかもしれないけれど。


どこからどこまでを、
どのように整理して切り取るかは、
脚本家次第だということだ。

どう整理して、どう結論づけるのか、
つまりまとめるべきテーマはなんなのか、
それが脚本家の腕だ。

この場合はアイドルの虚実、
本人だけではなくバックも含めて、
あたりがモチーフになる。
テーマはそうだな。
「組織を守るための嘘は弱い」かもしれない。

あなたはどうまとめる?


事実は小説より奇なり。

しかしフィクションは、事実より整理されていて、
ひとまとまりに捉えられるようになっていて、
だから時代を超え、世界を変えられる。
posted by おおおかとしひこ at 00:31| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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