久しぶりにカタナ式を触ってみて、
薙刀式と運指が似ていることがわかった。
ある程度は意識していたけど、
無意識に似ている部分があって、
ときどきびっくりする。
僕の無意識の指のうごきが、この言葉と一致したい、
なんてことがあるのかもしれない。
複数の配列をつくったことがある人は、
ひょっとしたらそういうこともあるかも。
とりあえず列挙してみる。
まず全体像。
あ か A K
これは意識的に同じとしている。
最初の音「あ」は、右手人差し指であるべき、
と考えた。
左手人差し指は、
主格の格助詞「が」が来たいと考えた。
すべての言葉や考えは、このふたつから出発する、と極端に考えた。
「か」はどうでもよくて、「が」が大事なので、
清濁別置の配列を僕がつくるとしても、
左手のホームキーは「が」になるだろう。
薙刀式では人差し指同時押し、
カタナ式ではシフトKでG、Aと、「が」の打ち方もなんとなく似ている。
お O
最近のバージョンで「お」は動いたけど、
昔のバージョンだと同じ位置にあったことに気づく。
僕は「お」は五母音でいちばん重い音だと思っていて、下段にどうしてもしたいようだ。
母音は右
この法則も共通している。
ローマ字配列カタナ式ならわかるけど、
薙刀式でもなぜか、あいうえお、やゆよの、
計八母音は右手。
左→右の運指が、その逆より速いため、
拗音外来音での意識がそうさせたか。
え E
これも最新バージョンで動いたが、
前のバージョンまでは、
カタナ式のEの位置に「え」がいた。
不思議な一致だ。
逆に、カタナ式のIUと薙刀式の「い」「う」が違っている。
薙刀式では「ない」の運指を重視したからで、
カタナ式が二重母音AI、OU、EIを重視したこととの違いから来る。
ん
これも同じ位置。
頻度ベスト3に入る「ん」が運指上いい位置にきていないのは、
薙刀式の欠点でもある。
ただ、「ん」ってなんとなく二番目の指で押したい感覚がある。
漢字の二音目に来ることが多いからかもしれない。
小指に担当させている親指シフトにとても違和感があるのは、その為かも知れない。
BS
これも意図的に同じ位置。
逆に、右人差し指上段に相応しい音が見つからないといつも思う。
新JIS、月系列の「ん」も指と音の感覚が合ってなくて、
結構な違和感がある。
下駄配列を使っているときとても違和感があった。
して ST
「して」と打つとき、カタナ式の子音と「して」の運指が同じことに気づいた。
むむむ。無意識でこれを決めていたとは……。
こと KT
薙刀式では下段→中段、カタナ式では中段→上段と段は違うものの、
アルペジオで駆け上がる動きが同じことに気づく。
むむむ。これも無意識で決めていたとは……。
は H
最新の薙刀式では「は」を運指の関係で動かした。
しかしそれまでの「は」の位置は、
なんとカタナ式のHと同じであったことに気づく。
むむむ。そんな無意識が。
薙刀式の最初の設計のとき、
左手の人差し指、中指の計6音は、
恣意的に選んだつもりだった。
し、か、こ、て、と、は(前バージョンまで)。
このうち中指中段を除く5音までが、
カタナ式と同じ位置にいたのだ。
狙ってなかったので、これは完全に僕の無意識で置いたもの。
人間というのは、前の習慣を使いたがるからだろうか。
それとも、音と指の運動の一致の、
僕なりの癖があるのだろうか。
思う OU
「おもう」という言葉は、わりと毎回大事にする言葉。
その語尾部分の運指がとても似ている。
考える KAんGAEU
「かんがえる」という言葉も同様に大事にしている。
これも運指がとても似ていることに気づいた。
面白いものだなあ。
句読点
これも意図的に同じにしていた。
途中から「。」の位置は変えたけど、
人差指下段という位置関係、「、」は左で「。」は右という関係は変わっていない。
一旦考えるのでシフトでもいいだろうと判断、
言葉の最後に来るから下段であるべきという考え(縦書き)、
左が繋ぎで右が決定という考えは変わっていないことが分る。
なので、
「、」が右に、「。」が左にあり、かつ上段だった親指シフトは、
そこがまったくなじめなかった。
新下駄の「、」のRも、いまいちなじめなかった。
横書きだったら違ったかもしれない。
縦書きでどうしても書きたかったので、
その意味でもQwertyの「、」「。」も気に食わない。
横書きだとQwertyの位置は嫌いではない。
でも僕は薬指と中指を時々混同することがある。
なので、それも避けたかったかも。
って っと KT
カタナ式では、促音を任意の子音組合せで打てるようにしていて、
とくにK〇でっ〇になるように推奨している。
カタナ式のKがF位置、薙刀式の「っ」がG位置という違いはあれ、
ななめ外上段にアルペジオするという位置関係が同じで、
この無意識にもびっくりした。
根幹になる言葉、促音や句読点や撥音などの、
特殊音について、
先発のカタナ式と後発の薙刀式は、
とても良く似た運指構造になっている。
意図的にそうしたところもあるし、
無意識に同じになっていたところもあった。
それが自分の大事にしているところかもしれない。
もちろん、違うところを大事にしている人もいるだろうし、
そういう人が使う配列の運指は、
僕のと全然違うだろうね。
配列をつくることは、
そうした指と言葉の連動の、
自分の無意識に従うことかもしれない。
自分のそういうものに出会うために、
配列は色々試していくといいと思います。
無意識を発見することは自分ではなかなか難しいから、
こうやって石を投げてみて、
返ってきた反応で判断するしかないからねえ。
ちなみに、
僕は色覚に関する共感覚があると昔書いた。
文字に色が見えるタイプだ。
これまで書いたことは、
概念と指の運動に、共感覚がある、
という話をしているのかもしれない。
2019年03月26日
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